球団旗の変遷
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1947~1948:赤地に白文字で「Robins」 1949:赤地に青文字で「Robins」 1950~1951(オールスター前):赤地に青文字で「Robins」。その上に松竹映画の社章。 1951(オールスター後)~1953:白地に赤文字で「Robins」。その上に松竹映画の社章。
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球団旗の変遷
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「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「球団旗の変遷」の解説
1938年 - 1940年:紺色地に当時の南海電鉄の社章(通称:羽車)をアレンジした「ボールに羽が生えたマーク」を中心。黄色地のものも存在(黄色地のものには、「ボールに羽が生えたマーク」の下に紺色の「NANKAI」の文字)。 1946年 - 1947年:「近畿日本グレートリング」に変更となったが、南海社章(いわゆる「羽車」)をそのまま使用。紺色地に「羽車」。黄色地のものも存在。 1947年 - 1948年:紺色地に中央に白の二等辺三角形をデザイン。アルファベットの「N」の上に南海社章。 1949年:上のデザインを踏襲し二等辺三角の底辺を反対に。白地に緑の二等辺三角形、その上に黄色フチの鷹のシルエット(今竹七郎が制作)。 1950年 - 1976年:2リーグ分裂を機に球団旗を変更。白地に緑の鷹のシルエット。 1977年 - 1988年:上のデザインを踏襲。鷹のシルエットを少しリニューアル、その下の部分に赤地のラインに白文字の筆記体で「Hawks」の文字が入る。 1989年 - 2004年:ダイエーに身売りされ「福岡ダイエーホークス」に。エメラルド・グリーンを地色に中央に「ホーマーホーク」のイラスト。「ホーマーホーク」の上に黒字で「FUKUOKA」、「ホーマーホーク」の下にオレンジの文字で「Daiei」、その下に黒字で「Hawks」。 2005年 - :ソフトバンクに身売りされ「福岡ソフトバンクホークス」に。海援隊の旗印(二曳)をモチーフに、白地に親会社・ソフトバンクのイメージカラーであるレボリューション・イエローの2本線。上の白い部分には黒文字で「= Softbank」、下の白い部分に黒文字で「HAWKS」。
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球団旗の変遷
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「千葉ロッテマリーンズ」の記事における「球団旗の変遷」の解説
1950年 - 1970年 - 上から赤・白・青のトリコロール、左端に☆を三つ。中央の白の部分に黒文字で「Orions」とロゴが染め抜かれた。その後も3回の球団名変更後もそのまま使用される。ちなみに、このトリコロールは当時の親会社・毎日新聞社のグループ企業にも波及しており毎日放送やスポーツニッポン新聞社の社旗にも採用されている(但し、両社とも上部は赤ではなく濃い橙色)。 1971年 - 1991年 - ロッテが正式な親会社となるが、球団名は変わらなかった。おおまかなデザインはそのままだが中央の「Orions」の左に赤文字で「LOTTE」のロゴが入る。 1992年 - 1994年 - 球団名が千葉ロッテマリーンズとなる。白地にマリーンズのロゴ(MARINESが筆記体で描かれており、その下にCHIBA・LOTTEの文字)、そして下の部分は当時のユニフォームの基調の色にも採用された「サンライズピンク」と「カレントブルー」のツートンライン。「千葉沖の海流のぶつかり合い」をイメージ。 1995年 - 現在 - シルバーを地色に、上に黒文字で小さく「CHIBA LOTTE」、その下に大きく「Marines」ロゴ。右斜め上に球団のマスコットにも使われているカモメを1羽。
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球団旗の変遷
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1950年 - 1955年:白地に12本の青ストライプと赤文字でCarpの文字。 1956年 - 1957年:白地に3本の横青ストライプと青文字で大きなCの中にCarpのロゴ。 1958年:紫地に白文字でCARP。Cの部分に鯉のイラストが覆い被さるデザイン。 1959年 - 1966年:白地と紫地を斜めで分け、前のデザインの鯉のイラストを大きなピンク色のCの文字で再現。 1967年 - :紺色地に白文字でH。
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球団旗の変遷
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「東北楽天ゴールデンイーグルス」の記事における「球団旗の変遷」の解説
2005年 - :親会社のイメージカラーであり、球団のチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を地色に、中央に白文字のチームロゴ(左右両端の文字は鷲の翼をイメージした「EAGLES」、その上に小さく「RAKUTEN」)。
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球団旗の変遷
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球団旗の変遷
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1941~1942:白地に赤、「大」を模した丸マークの中に「洋」の文字を入れたマーク。 1943:白地に赤、西鉄の社章。
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球団旗の変遷
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1935:紺色地に金のラインでしゃちほこ。その横に白文字で「NAGOYA」。 1936~1940:紺色地に大きく白文字で「N」。その上に金鯱。
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球団旗の変遷
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1935〜1939:赤地に左向きの黒獅子、その下に白文字で「東京セネタース」。現在と同じような左横書きであった。
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球団旗の変遷
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1949 - 1957:紺色地に赤色の大映の社章、中央にバット。後に地色が紺色→白→エメラルドグリーンに変更。
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球団旗の変遷
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「大阪近鉄バファローズ」の記事における「球団旗の変遷」の解説
1949:「近鉄パールス」時代のもの。紺地にパール=真珠を模した白丸をちりばめる。左上には、真珠貝を模した白丸の上に「KP」の組文字。 1950 - 1958:KPマークを真珠貝ではなく、円が囲む形となった。 1959 - 1981:球団ニックネームがバファローとなり、岡本太郎デザインの猛牛マークが登場。水色地に赤で猛牛マーク、両目は紺。 1982 - 1996:ユニフォームのカラーリングにあわせて、球団旗も赤・紺・白のトリコロールカラーとなる。赤地に白の猛牛マーク(両目の色が白であるものと紺であるものの2種類存在した)、その下に紺地に白文字で「Buffaloes」。 1997 - 2004:本拠地の大阪ドーム移転を機に、球団旗もリニューアル。紺と赤を波型で分け、中央に白の猛牛マーク、左上には赤文字で「Buffaloes」。
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球団旗の変遷
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「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「球団旗の変遷」の解説
国鉄時代 国鉄の列車「つばめ号」のヘッドマークに使われていた「つばめマーク」を使用。 1950年 - 1952年:紺色地に白でつばめマーク。つばめマークの横に黄色の文字で「国鉄」と書かれていたものも存在。 1953年 - 1954年:つばめマークの翼が両翼のものから片翼のものに変更。つばめマークが白のものと黄色のものが存在。 1955年 - 1965年:白のつばめマークの上に「K」のマークを付けたものに変更。 サンケイ→アトムズ時代 当時の親会社、産経新聞社の社旗(橙色地。中央に横の白地ライン、ライン部分に水色で「サンケイ」の文字)をアレンジしたものを使用。 1965年:「サンケイスワローズ」時代のもの。橙色地に白のライン、白の部分には水色の文字で「サンケイ」、右下に白文字でスワローズの略称である「S」。 1966年 - 1969年:球団名が「サンケイアトムズ」に。橙色地に白のライン、白の部分には水色の文字で「atoms」(球団名が「アトムズ」となった1969年も使用。)。 ヤクルト時代 1970年 - 1973年:ヤクルト本社の社色である赤・白・緑をモチーフに。白の斜線に上が青緑、下が濃いピンク。白の斜線に「鉄腕アトム」、その下に濃いピンクで「Yakult」。 1974年 - 1993年:球団名が「ヤクルトスワローズ」になる、デザインは1970年 - 1973年のデザインから「鉄腕アトム」を削除したもの。 1994年 - 2005年:白の斜線が反対になり上が青、下が赤。白の斜線に赤のストライプ、赤字で「Yakult」その下に青字で「Swallows」。 2006年 -:球団名が「東京ヤクルトスワローズ」になる。1994年 - 2005年のものをアレンジ、上の青の部分に赤字で「Tokyo」のロゴが入る。白の斜線の赤ストライプが消える、赤字で「Yakult」、その下に青字で「Swallows」。
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球団旗の変遷
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「北海道日本ハムファイターズ」の記事における「球団旗の変遷」の解説
1945年 - 1946年:上から青・白・赤の横線。青の部分に白字でセネタースの頭文字「S」。 1947年 - 1949年:球団名が「東急フライヤーズ」となる。上が赤・下が青のセパレート、右端に白の二等辺三角形。赤の部分に白字で「F」。球団名が「急映フライヤーズ」となった1948年も使用。 1950年 - 1973年:2リーグ分立を機に球団旗を変更。右端の白の二等辺三角形はそのままだが、セパレートの色を上下逆に(上が青・下が赤)。青の部分に白字で「F」。東急・東映・日拓と親会社が変わっても継続して使用される。 1974年 - 1976年:球団名が「日本ハムファイターズ」となり、デザインを一新。橙色地に白のライン。白の部分には親会社・日本ハムのブランドマーク(社章)と「ニッポンハム」ロゴ。その下の橙色の部分に白文字で「Fighters」ロゴ。 1977年 - 2003年:大まかのデザインはそのままだが、「ニッポンハム」ロゴと「Fighters」ロゴを縮めたものに変更。 2004年 - 2021年:札幌移転に伴い、球団名が「北海道日本ハムファイターズ」となる。白地にペットマークの七芒星。下の部分は黒地に白文字で「HOKKAIDO NIPPON-HAM FIGHTERS」。 2022年 - :デザインを一新。北海道と野球場のダイヤモンドを想起させる菱形の中に「F」をあしらい、一塁に青地に白の七芒星。枠外下に青文字で上段に「HOKKAIDO NIPPON-HAM」、下段に「FIGHTERS」。
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