金鯱瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:16 UTC 版)
「金鯱」も参照 2009年(平成21年)3月、広島市中区上八丁堀の広島地方合同庁舎5号館建設による前調査の際に、金鯱瓦が一対発見された。発見された場所は、本丸から見て東側の中堀と外堀の間に位置していた武家屋敷にあたり、井戸跡の底に大量の瓦と共に埋まっていた。ほぼ完全な状態での金鯱瓦出土は国内初で、更に日本でも古い部類の鯱瓦にあたることから、完品として現存最古の金鯱瓦である。 発見された珍しい瓦は以下のとおり。これらは築城当時の毛利氏時代のものと推定され、地下水に浸っていたため腐食しなかったと考えられている。 ほぼ完全な形の金鯱瓦一対高さ約70センチ×幅約30センチ。粘土製で、下地として黒漆と赤漆が塗られており、安土城の鯱瓦に似ている。本丸櫓門の棟上に飾られていた金鯱瓦と推定されている。また当時京都で作られていた一般的な鯱瓦よりも技術的に低いことから、広島で作られたものではないかと推測されている。 金箔の施されていない鯱瓦一対高さ約40センチ。 ホタテ貝の模様の入った瓦 鬼瓦 家紋と見られる印が入った瓦 金箔瓦が作られた当時の豊臣政権下において、この瓦は「権威の象徴」とみなされ設置は秀吉の許可が必要だった。また豊臣政権下でのこの瓦は朝鮮や明からの使者に日本の栄華を見せつけることを主目的としたため、同時代に築城した北部九州から大阪にかけての城でいくつか出土例があり、県内では厳島神社でも出土している。 井戸跡に埋められていた理由について、三浦正幸広島大学教授は「毛利輝元が防長2国に移封された後に広島城に入った福島正則が本丸櫓門から取り外し、城主交代を広く知らしめるために、儀式的な意味で丁重に井戸に沈めて埋納したのではないか」 と推測した。これは、これら瓦が井戸の中で雑に投棄されていたのではなく、丁寧に積み重なる状況だったことも根拠の一つである。
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