孝静夏皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孝静夏皇后の意味・解説 

孝静夏皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 13:57 UTC 版)

夏皇后
の皇后
孝静毅皇后夏氏
在位 正徳元年8月11日 - 正徳16年3月14日
1506年8月29日 - 1521年4月20日

別称 荘粛皇后、孝静毅皇后
出生 弘治5年3月9日
1492年4月5日
応天府上元県
死去 嘉靖14年1月25日
1535年2月26日
順天府紫禁城
埋葬 康陵
配偶者 正徳帝
父親 夏儒(慶雲伯)
母親 慶雲伯夫人葉氏
テンプレートを表示

夏皇后(かこうごう)は、正徳帝の皇后。孝静毅皇后(こうせいきこうごう)とされた。

経歴

応天府上元県の人。孝子として知られた夏儒と葉氏のあいだの娘として生まれる。正徳元年(1506年)、選抜されて後宮に入り、皇后に立てられた。父の夏儒は慶雲伯に封じられた。

正徳帝は放蕩恣睢な生活を送り、皇后をかえりみなかったが、多くの賞賜を与えた。正徳帝が崩じた際、男子も兄弟もなかったので、従弟の嘉靖帝が皇帝となった。夏氏は皇嫂(皇帝の従兄の嫁)として、荘粛皇后の尊号を受けた。嘉靖14年(1535年)正月、崩じた。

伝記資料

  • 『明武宗実録』
  • 『明世宗実録』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孝静夏皇后」の関連用語

孝静夏皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孝静夏皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孝静夏皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS