孝愍皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孝愍皇后の意味・解説 

孝愍皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/26 13:52 UTC 版)

馬皇后
の皇后
在位 建文元年2月13日 - 建文4年6月13日
1399年3月20日 - 1402年7月13日

別称 孝愍温貞哲睿粛烈襄天弼聖譲皇后
死去 建文4年6月13日
1402年7月13日
応天府紫禁城
配偶者 建文帝
子女 朱文奎
父親 馬全
テンプレートを表示

孝愍皇后(こうびんこうごう)は、建文帝の皇后。姓は馬氏

経歴

鳳陽洪武帝の出身地)の人。光禄少卿の馬全の娘として生まれた。洪武28年(1395年)、皇太孫朱允炆(のちの建文帝)の妃となった。

建文元年あるいは洪武32年(1399年)2月、建文帝が即位し、皇后に立てられた。靖難の変で建文5年(1402年)に燕王(永楽帝)軍が南京を陥落させた際、皇后は自ら火中に身を投じて亡くなった。

没後、庶人に追降した。南明において、孝愍温貞哲睿粛烈襄天弼聖譲皇后が贈られた。

子女

  • 朱文奎(太子)

伝記資料

  • 『明太宗実録』
  • 『南明史』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孝愍皇后」の関連用語

1
56% |||||

2
14% |||||

3
6% |||||

孝愍皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孝愍皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孝愍皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS