その他の皇族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 19:20 UTC 版)
「星界シリーズの登場人物」の記事における「その他の皇族」の解説
アブリアル・ドゥネー アーヴによる人類帝国初代皇帝。建国帝(スクルレトリア)と通称される。ラムステュームの孫。帝国暦元年、力によって平面宇宙航行技術を独占することを決意し、アーヴによる人類帝国の創建と帝国暦の開始を宣言する(その際の演説の一部が『星界の断章II』冒頭に収録されている)。それにともない平面宇宙航行技術の実験が行われた星系を永遠の帝都と指定し、アブリアルと名づける。彼の8人の兄弟及び子女が「八王家」を創始した。 ドゥグナー アーヴによる人類帝国第11代皇帝。銀河に悪名高いアーヴの地獄を無名者に「その者の名前を後世に残さない」ことを条件に造らせた。 アブリアル・ネイ=ドゥブレスク・ゲムファーズ伯爵(ドリュー・ゲムファド)・ラムリューヌ 先帝ラマージュの娘で、クリューヴ王ドゥビュースの妹。 アブリアル・ネイ=ドゥエール・ウェスコー王(ラルス・ウェスコール)・ラムロワル 帝国暦949年当時のウェスコー王。 アブリアル・ネイ=ドゥエール・スピュール子爵(ベール・スピュル)・ラムデージュ 帝国暦945年の流砂艦隊出征式にてドゥヒールの正面に整列している。星界軍への入隊も昇進も遅かったが、ラクファカール陥落後は非常事態ということもあり、階級は大提督、近衛艦隊副司令長官となっている。数少ないラフィールらと同年代の皇族の一人。 ドゥドーヴ イリーシュ王。帝国歴958年時点での帝位継承順位は第7位だったが、ラクファカール陥落に伴い多くの皇族が戦死・消息不明になったため、健在が確認されていた皇族ではドゥサーニュに次ぐ順位だった。彼を皇太子に推す声も大きかったが、上皇会議でラフィールが仮皇太女に指名されたことに伴い、継承順位は第2位となっている。
※この「その他の皇族」の解説は、「星界シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「その他の皇族」を含む「星界シリーズの登場人物」の記事については、「星界シリーズの登場人物」の概要を参照ください。
その他の皇族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:45 UTC 版)
「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「その他の皇族」の解説
イヴァン6世(イヴァン・アントノヴィチ/イオアン・アントノヴィチ) - アンドレイ・ザノガ(5歳) → アルチョム・クラシニコフ(13歳) → セルゲイ・ソトニコフ(17歳〜23歳) わずか生後2ヶ月で帝位に即き、2週間後、エリザヴェータ女帝のクーデター(ロシア語版)によって廃位されたロマノフ王朝第5代皇帝(在位:1740年〜1741年)。 エリザヴェータの命令で家族とも引き離され、言葉も教えられぬままペトロパヴロフスク要塞監獄の中で育っていた。要塞内では「秘密の囚人」と呼ばれていた。彼が誰なのか、看守たちは誰一人知らなかったのである。 彼が5歳の頃、エリザヴェータに伴われて訪れたピョートル・フョードロヴィチ(後のピョートル3世)が同情し、壊れた兵隊人形を1つ与えた。 13歳の頃、健康を悪化させたエリザヴェータが“始末“を検討するが、首都から離れたシュリッセリブルク要塞監獄に移されるに留まった。しかし優しかった乳母と引き離され、寝台用の小さなベンチ1つと便器の桶しか無い独房の中で、完全な孤独の状態に置かれる。 17歳の頃、プロイセンからの釈放要求を受けて再び処刑が検討されるが、様子を見に来たエリザヴェータが目にしたのは、錯乱状態で独房内を歩き回るイヴァンの姿だった。エリザヴェータは「救出の動きや釈放を命じる勅令が出されれば即座に殺害せよ」と看守に命ずるに留めた。しかし看守は粗末な食事を差し入れる度にイヴァンに激しい暴行を加え、イヴァンは嗚咽しながら「親切なばあや(ニャーニャ)」と絶望の中で乳母を呼んでいた。 1762年のクーデター(ロシア語版)の中でエカテリーナが面会に訪れると、狂人になっているとされ、言葉も知らないはずのイヴァンが突然話しかけてきた。乳母から貰った聖書を暗記していると言い、フョードロヴィチのために毎日祈っているが、今日からあなた(エカテリーナ)のためにも祈ると言う。そして、「優しい魔法使いがくれた」と、かつてピョートルからもらった古びた兵隊人形を見せるのだった。「鳥が見たい。いつになったらここから出してくれるのか?」と問う彼にエカテリーナは「いつか必ず」と答えてその場を後にする。面会を終えたエカテリーナは看守たちから「秘密の囚人」と呼ばれていたイヴァンを釈放させようものなら即効殺せというエリザヴェータの命令を解除すべきかと看守から問われ、「命令はそのままで。」と命じる。しかし、別の看守から「『秘密の囚人』をどうなさいますか?」と再度問われたため、その看守に対しては「良心に従って行動するように」と命じて立ち去った。そしてその後、エカテリーナからの釈放命令を伝える使者が来た途端、看守二人が独房に押し入り、「鳥が見られるの?」と口をきいたイヴァンに一人の看守は驚くが、もう一人の看守が「(口をきけようが)もう関係ない」と言い放ち、同時にイヴァンの体を剣で突き通した。倒れているイヴァンを見て驚き駆け寄った使者もまた看守によって刺殺されるのだった。運命に翻弄され、生涯ただ一つの罪も犯さなかった一人の皇帝の呆気ない最期であった。 アントン・ウルリヒ公 - アンドレイ・ルジェンスキー 家族もろとも最北の地・ホルモゴルイの要塞修道院に幽閉されている。イヴァン6世の父親。 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国生まれで、元はロシア帝国の大元帥であった。 ロシア・ツァーリ国のイヴァン5世の孫であった妻・アンナはこの地で亡くなり、長女エカテリーナ(カチカ)、獄中生まれの次女エリザヴェータ(リスカ)・次男ピョートル(ペチカ)・三男アレクセイ(リョーシカ)と共に暮らす。看守はエリザヴェータ女帝からイヴァン6世と同じく赦免の勅令が出れば皆殺しにするよう命じられていた。 幽閉から27年後の1768年、地方への視察旅行に出かけたエカテリーナがパーヴェルを伴って訪れると、既に盲目になっており、ただただ息子イヴァンの身を案じていた。 エカテリーナの「釈放されて質素に暮らしている」という言葉から息子の死を悟り、エカテリーナに勧められて書いた息子宛の手紙は白紙であった。デンマークとの良好な外交関係を築きたいエカテリーナからアントン公一人だけを釈放し、親族の元へ帰すと言われるが、家族を残しては行けないと拒否する。そしてエカテリーナが去った後、肖像に描かれたイヴァンの顔を撫でながら号泣するのだった。 娘たちと親しく話したパーヴェルは一家のあまりの境遇に悲憤し、エカテリーナに全員の恩赦を求めるが、「為政者は国家と国民の命を護らねばならぬ。帝位を継ぐ者として理解せよ!」と激しく叱責される。 アントン公は1774年に獄死、残った子女四人は1778年5月にエカテリーナから恩赦を受けて釈放され、デンマークに送られた。
※この「その他の皇族」の解説は、「エカテリーナ (テレビドラマ)」の解説の一部です。
「その他の皇族」を含む「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事については、「エカテリーナ (テレビドラマ)」の概要を参照ください。
- その他の皇族のページへのリンク