高松塚古墳
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高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年 - 710年)に築造された終末期古墳で、直径23 m(下段)及び18 m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
- ^ “保存公開施設、墳丘近くに建設へ 高松塚古墳の国宝壁画”. 日本経済新聞. (2016年3月23日)
- ^ “高松塚古墳”. 国営飛鳥歴史公園. 2020年4月14日閲覧。
- ^ “高松塚古墳の国宝壁画、13年の修理完了 飛鳥美人など”. 朝日新聞. (2020年3月26日)
- ^ “高松塚古墳壁画、12年がかりの修復が終了”. 日本経済新聞. (2020年3月26日)
- ^ 発掘のための資金は川原寺で発見された塼仏の発掘のために集められた予算50万円が流用された - 網干善教「高松塚への道」(2007年、草思社)
- ^ 奈良新聞 2005年2月23日「築造は藤原京期-高松塚古墳」 高松塚光源
- ^ 柳沢伊佐男 (2013年4月11日). “時論公論 「高松塚古墳壁画 保存の議論正念場」”. 時論公論. NHK解説委員室. 2013年4月11日閲覧。
- ^ 「高松塚壁画古墳: 朝日シンポジウム」末永雅雄、井上光貞 編 共著 朝日新聞社 1972年(昭和47年) なお、末永雅雄は橿原考古学研究所初代所長。関西大学教授、文化勲章受章。井上光貞は国立歴史民俗博物館初代館長。東京大学教授、紫綬褒章受章
- ^ 奈良新聞 高松塚光源-高松塚古墳壁画発見30年 第二部 被葬者の迷宮 〔2〕高句麗の画題に共通性 [1]
- ^ 「宮都と木簡」岸 俊男著 吉川弘文館 1977年(昭和52年)
- ^ 同書の序で文化庁長官(当時)の河合隼雄は「30年を経ても壁画は大きな損傷あるいは褪色もなく保存されており」と記しており、事態への認識の低さがうかがえる
- ^ 2018年10月に実施された文化庁の組織改編にともない、記念物課、美術学芸課ともに廃止されている。
- ^ 「読売新聞」2006年5月12日付け記事
- ^ 「読売新聞」2006年5月25日付け記事
- ^ 「誰が国宝・高松塚古墳壁画を殺したのか?高松塚古墳石室解体にみる文化庁の体質」
- ^ よみがえる高松塚 外観復元終え24日から一般公開、Asahi.com、2009年10月24日閲覧
- ^ “高松塚古墳の壁画 修復終了 奈良 明日香村”. NHK. 2020年4月2日閲覧。
高松塚
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