高松天満屋時代
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後継テナント選びは民事再生法申請前から始まり、最初は髙島屋が候補に挙がったが条件面で合意に至らず、2001年3月に破談となった。次に天満屋が候補に浮上し、コトデンそごう閉店直前に合意にこぎ着けた。天満屋は運営子会社の高松天満屋(たかまつてんまや)を設立し、約半年間の閉店期間を経て、2001年(平成13年)9月1日、地下1階から地上8階に入居した。コトデンそごうの従業員260人(親会社からの出向者を除く)のうち、220人が高松天満屋に採用された。ただし賃貸料はコトデンそごう時年間14.5億円の約半分の年間7.5億円で入居保証金0という条件となり、琴電本体にとっては債務の減少に結びつかなかった(その後民事再生法適用を申請)。 高松天満屋は、親会社直営の天満屋も含めてグループで最大面積の店舗であった。営業時間は10:00-19:30だった。 屋上には乳幼児向けの各施設を完備、夏季はビアガーデンも開かれた。 10階のレストラン街と9階部分は高松天満屋への賃貸対象外で高松市の市民サービスセンターなどが高松琴平電鉄と直接契約して入居していた。しかし、9階部分も他の階と同様にエスカレーターで結ばれ、エレベーターも通常通り停まるなどの連続性から実質的には天満屋の一部として機能していた。この階のみエレベーター・エスカレーター前の防火シャッター降下地点の床には線が引かれており、これを越えると高松天満屋の管理区域外となっていた。[要出典] 売上高はピークの2004年(平成16年)2月決算期に151億円を記録したが、その後減少が続いたことから2013年10月に2014年3月末をもって閉店することが発表された。2011年度の売上高は93億5400万円で、閉店発表時の報道では、2013年2月決算期で6年連続赤字となる1400万円の経常赤字であった。そして予定通り2014年3月31日19時30分をもって閉店し、12年7ヶ月の歴史に幕を閉じた。同年1月には天満屋ハピータウン善通寺店も閉店したため、天満屋グループ全体としても香川県から完全撤退したことになる。閉店発表時に、閉店後に会社としての高松天満屋は清算されると報じられた。閉店後、外商の既存顧客対応のため、天満屋岡山本店は多肥下町に高松出張所を開設しているほか、高松丸亀町参番街東館に「天満屋ロイヤルジュエリーサロン高松」を開設している。同年5月末に高松天満屋の代表電話番号が廃止された後の問い合わせ対応も高松出張所で行っている。 法人としての高松天満屋は2016年1月5日付で解散、同年2月2日付で特別清算開始命令(平成28年(ヒ)第1号)が出されている。同年4月27日付で特別清算終結の決定が確定し、完全消滅した。
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