閉店発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:29 UTC 版)
とうとう、1999年(平成11年)4月26日午前の「京都近鉄百貨店」取締役会で同年9月末の閉鎖を決めた。三上昭専務は「12,000㎡の中途半端な規模で品ぞろえも中途半端でニーズに応えられなかった」と語った。これに対して、岐阜市では「京都近鉄の経営事情によるもの」「再開発のきっかけになる」など楽観的な声も聞かれた。しかし、髙島屋岐阜店(当時)さえ閉店のうわさが出ており、同店の関係者も当店の撤退による柳ヶ瀬の地盤沈下やジェイアール名古屋タカシマヤへの顧客流出を大きく懸念している。 丸物時代から親しんでいた地元住民は単なる一企業での撤退ではないとして反発し、岐阜市や岐阜商工会議所は閉店撤回運動を起こしている。しかし、会社側はこれを拒否したので、市や商議所、商店街組合の代表者が「にぎわい拠点活性化対策会議」を結成し、跡地利用を検討した。しかし、民間保有地の買収に否定的な市と風俗店などの進出を阻止するため支援策を要求する商店街組合とで議論は平行線となり、閉店までには結論は出なかった。
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