岐阜店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:34 UTC 版)
詳細は「岐阜近鉄百貨店」を参照 京都近鉄百貨店岐阜店が正式名称だが、多くの場合は岐阜近鉄百貨店と呼ばれていた。近鉄百貨店の直営店として営業したことはない。 京都物産館岐阜支店として開業した丸物最初の支店であり、数少ない本体直営の店舗だった。また、京都の本店と同様、京都物産館から「丸物」への改称を経て「京都近鉄百貨店」への改称までずっと営業を続けていた店舗である。 長年、岐阜最大の繁華街である柳ヶ瀬の中核店舗として親しまれていたが、柳ヶ瀬西部の再開発で1977年(昭和52年)9月に岐阜髙島屋が進出して競争が激化した。当店は同年に京都近鉄百貨店岐阜店と改称し、専門店街「近鉄アミコ」を柳ヶ瀬ビル(現在のオアシス柳ヶ瀬ビル)へ建設するなど対抗策を講じると、1991年(平成3年)には売上高のピークを迎えた。しかし、既にこの前年の1990年(平成2年)2月期にはアピタ・ジャスコなどの郊外進出に伴って赤字転落。1999年3月期には年商110億7900万円にまで売り上げが低下し、岐阜駅前への移転構想も実現せずに1999年(平成11年)9月30日に閉店に追い込まれた。その後も、パルコ、名鉄グループの新岐阜百貨店やメルサといった大型店舗の多くが撤退し、当百貨店周辺を走っていた路面電車の名鉄岐阜市内線・美濃町線も2005年(平成17年)4月1日付で廃止されるなど、岐阜市内中心部の空洞化が進行している。 解体された当店の壁面から1945年(昭和20年)の岐阜空襲による煤けた跡が見つかり、その部分を岐阜市平和資料室で保存している。
※この「岐阜店」の解説は、「近鉄百貨店」の解説の一部です。
「岐阜店」を含む「近鉄百貨店」の記事については、「近鉄百貨店」の概要を参照ください。
- 岐阜店のページへのリンク