旧京都近鉄百貨店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:34 UTC 版)
詳細は「丸物」および「丸物#京都近鉄百貨店」を参照 旧京都近鉄百貨店の前身・丸物は、中林仁一郎によって創業された。創業時は「京都物産館」という名前だったが、そのマーク(○の中に物産館の「物」)と他地域への出店がきっかけで、1931年に「丸物」に改称した。最盛期には東京・池袋駅ビル(現在のパルコ本館)にも東京丸物を出店するなど全国展開していた。 仁一郎の死後は長男・中林仁良が社長に就任するが、伊藤忠商事との資本提携に失敗するなど経営が悪化した。このため、1966年4月に近畿日本鉄道の資本参加を受けて近鉄グループ入りする。近畿日本鉄道百貨店部出身の橋本達吉が協力して経営再建に取り組み、京都本店と岐阜店の2店のみが残った。しかし、1977年5月27日に中林仁良が会長、橋本達吉が社長となると同時に、社名・両店名とも「丸物」から近鉄グループの一員と示す京都近鉄百貨店に変更している。 なお、1975年に近鉄流通グループとして出店したひらかた丸物(社名は「枚方丸物」)は別法人の枚方近鉄百貨店に改称後、1998年に近鉄百貨店に吸収合併され、枚方店となった。また、1997年(平成9年)9月5日には別会社方式で草津近鉄百貨店を草津駅前に出店し、京都店・岐阜店と一体的に運営した。 しかし、京都店は増床などの対策をとったものの、ジェイアール京都伊勢丹の開業で業績が悪化した。このため、郊外型商業施設や名古屋市内の百貨店との競合に負けて10年連続で赤字決算だった岐阜店は存続する余裕がないとして1999年(平成11年)9月30日に閉鎖した一方、残った京都店を複合商業施設「プラッツ近鉄」に業態変更して、ジェイアール京都伊勢丹との共存を図った。
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