近鉄グループ入り
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1966年(昭和41年)に株式会社丸物が近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の出資を受けて近鉄グループ入りした。これと前後して、同じ近鉄グループの長良川ホテルが店内にレストランを開設している。以降も増築を繰り返し、1972年(昭和47年)には新館増築が完成。これで百貨店部分は最終的な形態になるが、1976年(昭和51年)4月16日には若宮町立体駐車場(56台収容)、「満映ビル」1階へ「ファッション5」を開設するなど、周辺施設の拡充を図り続けた。
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近鉄グループ入り
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この当時は商社がメーカーから百貨店・小売業までを傘下に入れて流通産業の支配をもくろんでいた。その一環で伊藤忠商事が当社に資本・業務提携を持ち掛け、1962年(昭和37年)に応じている。丸物と伊藤忠は合弁でスーパーマーケット「マックストア」の展開などを行ったものの、業務提携はうまく行かなかった。伊藤忠は出資の引き上げを考えたが、丸物では単独での経営再建が難しいので新たな提携先を求めた。 一方、近畿日本鉄道は沿線に百貨店を大阪に2店舗(直営の阿倍野店と上本町店)、三重県に1店舗((株)四日市近鉄百貨店)展開していたが、京都には店舗がないため、丸物との関係を求めた。同社は伊藤忠の株を引き取る形で1966年(昭和41年)4月に丸物への資本参加を行っている。近鉄が単身赴任させた橋本達吉が2年後に丸物本店の店長に就任し、丸物の再興に取り組んだ。 1975年(昭和50年)4月1日には近畿地方初の本格的な支店として、大阪府枚方市の京阪枚方市駅前に「ひらかた丸物」をオープンしている。ただし、運営会社「枚方丸物」は近鉄の出資も受けているほか、社長の永岡孝二も大阪電気軌道→近畿日本鉄道百貨店部の出身であり、これは近鉄グループとしての出店であった。 豊橋丸物も店舗拡張に伴う本社との対立から、「パルコ」と同じセゾングループ傘下に入り、西武百貨店の「豊橋西武」となった。このため、同じ近鉄グループで非上場だった近鉄百貨店(1972年、近畿日本鉄道から分社化)や提携していた「そごう」より小規模で、別会社の「ひらかた丸物」を別にすると、京都本店・岐阜店のみを営業する地方百貨店になった。しかも、岐阜店の近傍には髙島屋がハイランドグループ加盟百貨店だったヤナゲンと共同で「ヤナゲン髙島屋」の出店を計画しており、さらなる業績悪化も懸念された。一方、本店周辺では京都市電の廃止に伴い、代替手段の地下鉄や都心機能を高める地下街の建設など再整備の機運が高まっており、状況が変化していった。
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