埴科古墳群
森将軍塚古墳
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森将軍塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 15:36 UTC 版)
長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在する本古墳は、長野県で最大となる全長100メートルに及ぶ前方後円墳である。曲がった尾根上に築造されたことによって左右対称ではなく、後円部が楕円形に近い。墳丘は葺石で覆われ、三重の埴輪列のほか、墳頂には形象埴輪が配されていた。規模は以下の通り。 墳丘長:約100メートル 前方部長さ:約40メートル 幅:約30メートル 高さ:約4メートル 後円部直径:約45メートル 高さ:約4メートル 長野県における前方後円墳としては最初期にあたる古墳時代前期(4世紀末)に造られ、信濃国の前身・科野(しなの)の首長の墳墓と目される。平野部から130 - 140メートルの高さにある狭隘で急斜面の有明山尾根上にあるため、後円部は楕円のようになり、前方部と後円部では中軸線が20度ばかり違っている。 後円部頂の中央に長さ15.0メートル、幅9.3メートル、深さ2.8メートルの穴が掘られ、その内部に「墓壙」と呼ばれる二重の石垣で囲まれた長さ7.6メートル、幅2メートル、高さ2.3メートルの竪穴式石室(石槨)が築かれている。この石室は東日本最大級の大きさを誇っており、森将軍塚古墳館で原寸大の模型が展示されている。 副葬品のほとんどは過去の乱掘により散逸していたが、辛うじて残されていた三角縁神獣鏡片は、ヤマト王権との繋がりを示す重要な資料とされる。他にも近畿地方の影響と思われる土器類(円筒埴輪・壺形埴輪・朝顔形埴輪・異形埴輪-家形埴輪か)、刀・剣や切先の尖った槍か剣のようなもの、鉄鏃、細工のための小刀、農業に使う鎌、翡翠で造った高級な勾玉、碧玉の管玉などが検出されている。身分を示す鏡・玉と武器や生産用具を表すと考えられている剣の三つがそろったのは珍しい例である。 また、一部に前方後方墳とする説もあるが、発掘された埴輪の形から古式の前方後円墳と見なされている。 周辺からは、13基の円墳(5 - 7世紀後半)を始め、古墳の裾に沿って埴輪棺や組合式石棺や埴輪円筒棺などの小形埋葬施設が100基近く検出されており(他にもあったと考えられるが、後世の採石などで消失)そのなかには6世紀代のものもあり2世紀の間追葬が行われていたと考えられる。この周辺は森将軍塚古墳に関係する一族などの代々の墓所(奥都城)と考えられている。昭和46年(1971年)に国の史跡に指定され、昭和56年(1981年)から平成4年(1992年)までの11年をかけて築造当時の姿に復元された。一般に公開され小学校の教科書にも写真入りで紹介されている。 後円部墳頂(竪穴式石室位置) 竪穴式石室(実物大模型)古墳館内展示。 竪穴式石室内部(実物大模型)古墳館内展示。
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