森家重臣として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 07:18 UTC 版)
小牧・長久手の戦いにおいて長可が戦死した後に林通安、為忠父子と3人で羽柴秀吉の元に長可の遺言書を届け、長可の弟である森忠政への遺領引継ぎの承認を得ると同時にその席で秀吉から林為忠と共に2人で忠政の後見役となるよう申し渡されたという。 忠政の家督相続後は岩村付近の支配を一任され岩村城の改修、岩村城下の整備、領内の検地奉行などを務め岩村の領国化に尽力した。また、忠政不在時の留守居役や来客の際の饗応役などの仕事が増え、戦の際には林為忠や伴一族が出陣をし元正は基本的に国元の抑えとして残り領国の政務を執るという場合が多く晩年は内政官としての色合いが強くなった。 慶長5年(1600年)に忠政が金山から信濃川中島13万6500石への転封を命じられると、元正は長沼城代に任ぜられ8000石を与えられる。しかし病が悪化し、同年10月15日に長沼城内で死去。享年59。家督は長男の元峯が継いだ。
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