乙女山古墳
名称: | 乙女山古墳 |
ふりがな: | おとめやまこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 北城郡河合町・広陵町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1956.11.07(昭和31.11.07) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 丘陵上に営まれた墳丘で、いわゆる帆立貝式の前方後円形を呈している。後円部は径約94メートル、高さ15.5メートルを有する壮大なもので、三段に築成せられ、東南方には幅約50メートル、長さ約29メートルのきわめて低平な前方部をそなえている。周囲にめぐらされた堀の跡もよく旧規をとどめており、この種の特異な形式の前方後円墳としては類例稀なものであり、学術上の価値が高い。 |
乙女山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/10 05:42 UTC 版)
乙女山古墳(おとめやまこふん)は、奈良県北葛城郡河合町佐味田字乙女山・広陵町大字寺戸字乙女に所在する大型の帆立貝形古墳である。

概要
奈良盆地の西辺部にある標高70-80メートルの馬見丘陵が続いている。その東側の斜面に馬見古墳群が連なっており、その中央群の中の一古墳である。 発掘調査は、1986年(昭和61年)12月から1987年(昭和62年)2月まで行われた。出土の埴輪、墳形などから5世紀前半と推定されている。 1956年(昭和31年)国の史跡に指定された。
規模・形状
全長約130メートル、後円部径約104メートル、後円部高さ約14.7メートル、前方部長さ約30メートル、前方部幅約52メートル、前方部高さ約3.5メートル。 後円部西側に長さ11メートル、幅約23メートルの造り出しが付設されている。 周濠は前方部を幅広く、後円部側を幅狭くしている。 後円部は3段築成で、1、2段は低く緩やかで、3段目は急斜面になっており、椀を伏せた形となっている。 葺き石は各段の斜面に施されている。
副葬品・埋葬施設
後円部の埋葬施設は明らかでないが、良質粘土が点在しているところから粘土槨ではないかと推測されている。 刀子(とうす)・勾玉(まがたま)・臼玉(うすだま)などの滑石製模造品などが出土している。 造り出し部の発掘では2段目の斜面に葺き石、その外側に礫を敷き円筒埴輪列、その外側に家形埴輪2、楕円形円筒埴輪2が認められた [1]。
脚注
- ^ この項は泉森皎「乙女山古墳」文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版 1991年、53ページを参照した。
参考文献
- 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版 1991年 ISBN 4-8104-0926-0
- 田中琢・佐原真編『日本考古学事典』三省堂 2003年 ISBN 4-385-15835-5
- 永原慶二監修 石上英一他編集『岩波 日本史辞典』岩波書店 1999年 ISBN 4-00-080093-0
関連項目
座標: 北緯34度33分50.2秒 東経135度44分22.5秒 / 北緯34.563944度 東経135.739583度
固有名詞の分類
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