九谷磁器窯跡とは? わかりやすく解説

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九谷磁器窯跡

名称: 九谷磁器窯跡
ふりがな くたにじきかまあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 石川県
市区町村 加賀市
管理団体 加賀市(昭56・5・27)
指定年月日 1979.10.23(昭和54.10.23)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-6-034九谷磁器窯跡.txt: 本窯跡は、白山連峰大日山に源を発する大聖寺川最上流部、九谷の地に営まれ江戸時代初期磁器窯である。本窯跡については、享保21年(1736)の大沢君山著『重修加越能大路径』や享和3年(1803)の塚谷右衛門著『〓(*1)憩紀聞』にかなりくわしい記録がある。
 本窯跡では、昭和45年以降石川県教育委員会により発掘調査が行われ、大聖寺川右岸山麓斜面築かれ階段状の連房式登窯確認されている。第1号窯は、燃焼室13房の焼成室および煙道からなり下端燃焼室から上端煙道部までの水平距離および全体高は、それぞれ33.4メートル、10.75メートルにおよぶ。焼成室は砂床と1段低い火床および両者の間の火除けからなり、奥壁には煉瓦をたてて分焔とした通焔孔がもうけられている。焼成室床面の状況から窯体は3回ほど大規模に改修されたと考えられる第1号窯の南約15メートルにある第2号窯は、水平距離による全長13.02メートルでやや小規模であるが焚口煙道部の遺存状況良好である。
 2基の窯跡および物原からは磁器陶器片や窯道具多量に出土しているが磁器のなかでは白磁青磁生産主体である。1号窯物原からは染付陶磁片がまとまってみられ、染付色見に「明暦弐歳・九谷八月」と記されたものが出土しているので、本窯跡が文献の記述どおり明暦年間には既に築造されており、佐賀県有田地方続いて日本における磁器創始の頃の様相を示す重要な遺構であることを知りうるのである色絵磁器出土は僅か数点にすぎないが、本窯いわゆる古九谷伝世品とのかかわり究明するうえで重要な手掛りとなるものである
 なお、本窯丘陵前面には上絵赤鉄鉱原石出土する地点があり、また、第1号窯の北側には九谷再興意図をもって文政6・7(1823・1824)年に稼働した吉田屋窯跡があるので、いずれも指定範囲含めて保存を図る。



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