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こ‐くたに【古九谷】

読み方:こくたに

江戸時代明暦(1655〜1658)から元禄(1688〜1704)にかけて加賀国九谷焼かれとされる磁器。→九谷焼


古九谷

作者井上靖

収載図書井上靖全集 第2巻 短篇 2
出版社新潮社
刊行年月1995.6


古九谷

読み方:コクタニ(kokutani)

作者 井上靖

初出 昭和26年

ジャンル 小説


九谷焼

(古九谷 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 20:46 UTC 版)

古九谷色絵牡丹獅子文銚子(重要文化財東京国立博物館蔵)[1]

九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市小松市加賀市能美市で生産される、色絵の磁器。五彩手[2](通称「九谷五彩」)という色鮮やかな上絵付けが特徴である。

歴史

古九谷

石川県加賀市山中温泉九谷町にある、九谷焼始祖を顕彰する「後藤才次郎紀功碑」(左)と「古九谷窯址碑」(右)。
古九谷の皿(シカゴ美術館蔵)

江戸時代加賀藩支藩である大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で良質の陶石が発見されたのを機に、藩士の後藤才次郎 [3]有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として始められたとされる。しかし、約半世紀後の元禄末期(1700年代初頭)に突然、廃窯となる。廃窯の理由は諸説あり、判然としていない。この頃に作られたものを「古九谷(こくたに)」と呼ぶ。

窯跡は加賀市山中温泉九谷町に、「1号窯」「2号窯」と呼ばれる2つが残る[4]。しかし、研究が進むにつれて産地は有田であった事が判明しつつあり、現在では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」とも称される。いまだに謎が多いとして九谷焼の本場ではこの説を認めない人が多い[要出典]

再興期

廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)、加賀藩が京都から青木木米を招き、金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立った。これらの窯の製品を「再興九谷」と呼ぶ。同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で新たな陶石が発見され、今日までの主要な採石場となった。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、文政2年(1819年)に磁器を、翌年に陶器をそれぞれ移入禁止にした。

再興期の主な窯元

括弧内は開窯時期

春日山窯は京風、若杉窯は有田風、吉田屋窯は古九谷風を得意とした。春日山窯開窯以前の天明年間に、ほぼ同じ場所で越中国(現在の富山県城端の焼物師であった殿村屋和助が窯を開いていた記録があるが、どのような焼物であったのかは判っていない。

中興の祖

九谷焼中興の祖と呼ばれる九谷庄三[5](くたに しょうざ、文化13年(1816年) - 明治16年(1883年))は、寺井村(現:能美市寺井町)の農家に生まれた。17歳の時に小野窯に陶匠として招聘される。後に窯業の指導に諸国から招かれるが、能登の火打谷(現:志賀町)で、能登呉須(ごす)と呼ばれる顔料を発見。後の九谷焼に多大な影響を与える。26歳で故郷に戻り、寺井窯を開いた。西洋から入った顔料を早い時期から取り入れ 彩色金欄手(きんらんで[6])を確立した。彼が確立した、和洋折衷の陶画は庄三風(しょうざふう)と呼ばれ、明治に欧米に輸出された九谷焼に使われた後に廃れたが、2020年代に再興に取り組む絵付け作家がいる[7]

新九谷

明治に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、ジャポニスムが流行していた欧米で人気を集めた[8]1873年ウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると同時に、西洋の技法も入り込んだ。1872年(明治5年)頃から、型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ、1892年(明治25年)頃から獅子をはじめとする置物の製作が盛んとなり、大正時代になると型が石膏で作られるようになり、量産化が進んだ。

また、明治維新による失業士族の授産施設として、1872年(明治5年)に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平、初代諏訪蘇山等の参加を得て成果を上げ、1876年(明治9年)には、石川県勧業場と名を改めた。1887年(明治20年)に金沢工業学校(現:石川県立工業高等学校)が開校し、次代の陶芸家が育成されるようになった。

作風

  • 飯田屋風:天保の頃、宮本屋窯の飯田屋八郎右衛門が焼いた赤絵のものを「赤九谷」とも言う。
  • 古九谷風:赤色、黄色、青色(緑色)、群青色、紫色を使った、重厚な五彩色の構図が特徴である。
  • 木米風:赤地の上に中国風の人物画が描かれる。
  • 吉田屋風:古九谷風で使われる五色のうち赤色を使わない。青九谷とも言う。

著名な九谷焼作家

九谷焼関連の施設

その他

九谷の地名は古くからの山中温泉を1番目、大聖寺川上流へ旧西谷村栢野大杉がある左岸道路の村落を2番目とし、9番目の村落を九谷とした[9]、また『加州名跡誌』に拠れば「山広く方五里にわたり谷深くして九百九十九谷あり、略して九谷という」とあり、その地元伝承や谷が多く、最高数字の九とした説がある。

2005年平成17年)8月に完成し、翌2006年(平成18年)3月に竣工した、大聖寺川上流の九谷ダムによって生まれた人工湖は、一般公募により「五彩湖(ごさいのうみ)」と命名された。同地は古九谷の産地であり、古九谷の特徴である五彩色にちなむ。

脚注

  1. ^ 古九谷色絵牡丹獅子文銚子 文化庁国指定文化財等データベース
  2. ^ 九谷焼解説ボランティアのHP
  3. ^ 『後藤才次郎』 - コトバンク
  4. ^ 寺尾健一『窯別ガイド日本のやきもの 九谷』淡交社、2003年
  5. ^ 『九谷庄三』- コトバンク
  6. ^ 五彩金襴手碗 ごさいきんらんでわん 文化庁 文化遺産オンライン
  7. ^ 九谷焼伝統の絵付け 今に/石川「庄三風」輝きに魅了 「自分らしい表現で発展」日本経済新聞』夕刊2024年6月12日(社会面)同日閲覧
  8. ^ 【世界を魅了 明治の焼き物】(3)春名繁春「色絵金彩飛龍文大香炉」美術史家 森谷美保『日本経済新聞』朝刊2021年7月20日(文化面)2021年7月24日閲覧
  9. ^ 3番目は我谷、以下の村落は我谷ダム九谷ダムにより廃村、4番目枯淵、片谷、坂下、小杉、生水、9番目九谷、真砂の各村落順、なお下谷と菅谷は右岸道路上、我谷から先の九谷は一本道。

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク


古九谷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 05:45 UTC 版)

九谷焼」の記事における「古九谷」の解説

江戸時代加賀藩支藩である大聖寺藩領の九谷現在の石川県加賀市)で良質陶石発見されたのを機に藩士後藤次郎有田技能習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期1655年頃)、藩の殖産政策として始められとされる。約50年後(18世紀初頭頃)、突然廃窯となる。窯跡加賀市山中温泉九谷町に、「1号窯」「2号窯」と呼ばれる2つがある。しかし、研究が進むにつれて産地有田であった事が判明しつつあり、現在では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」と称されるいまだに謎が多いとして九谷焼本場ではこの説を認めない人が多い[要出典]。

※この「古九谷」の解説は、「九谷焼」の解説の一部です。
「古九谷」を含む「九谷焼」の記事については、「九谷焼」の概要を参照ください。

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