乙女不動原瓦窯跡
名称: | 乙女不動原瓦窯跡 |
ふりがな: | おとめふどうはらかわらがまあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 栃木県 |
市区町村: | 小山市乙女 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1978.05.11(昭和53.05.11) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S52-12-026乙女不動原瓦窯跡.txt: 思川は、[[小山]おやま]市の西を西南流する利根川の一支流で、この窯跡は思川の左岸に沿ってのびる台地の西端に立地する。昭和51年度の試掘調査によれば、窯は4基以上みとめられ、東西に開析された台地の北斜面に並ぶ。窯体の全面調査は行われていないが、いずれも登窯の構造をとるものと思われる。灰原は前面の谷に東西約80メートル、南北30メートルにひろがる。 瓦は軒瓦が66点出土しており、白鳳様式のものを含む複弁八葉蓮華大軒丸瓦、均整唐草文軒平瓦などがある。[[下野]しもつけ]薬師寺・下野国府推定地などから出土した瓦と同笵のものがみとめられ、軒平瓦には瓦当面の一端に笵割れの痕跡を残して同笵関係をよく追跡しうる例もある。この遺跡は、下野薬師寺をはじめとして当地域における主要な寺院あるいは官衙の造営にかかわった瓦窯跡として貴重である。 |
乙女不動原瓦窯跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 09:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動乙女不動原瓦窯跡(おとめふどうはらかわらがまあと)は、栃木県小山市乙女にある奈良時代の窯跡。1978年(昭和52年)5月11日に国の史跡に指定されている。奈良時代に、下野薬師寺に瓦を供給した瓦窯跡として注目されていた[1][2]。
概要
思川の左岸に沿う台地の西端にある。1976年(昭和51年)に行われた調査では、東西に開析された台地の北斜面に4基以上の窯が確認された[3]。平窯とみられる。さらに、東西約80メートル、南北30メートルの灰原(窯から発生した灰を捨てた場所)が確認された。さらには粘土採掘抗(瓦の材料になる粘土を掘り出した所)、工房跡などのほか、白鳳様式のものを含む複弁八葉蓮華文軒丸瓦や均整唐草文軒平瓦、大量の丸瓦や平瓦が見つかっている。下野薬師寺・下野国府推定地などと同笵の瓦とされている。というのも、軒平瓦には瓦当面の一端に笵割れの痕跡を残すものもあるからである。この窯跡は、下野薬師寺など地元の主要な寺院や官衙に瓦を供給していたと考えられている[3]。
脚注
- ^ “国指定史跡「乙女不動原瓦窯跡」 - 小山市ホームページ”. www.city.oyama.tochigi.jp. 2020年12月4日閲覧。
- ^ 栃木県観光物産協会. “乙女不動原瓦窯跡” (日本語). とちぎ旅ネット. 2020年12月4日閲覧。
- ^ a b “乙女不動原瓦窯跡 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2020年12月4日閲覧。
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