現地調査主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:46 UTC 版)
『郷土生活の研究法』(1935年)において「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。 ここでは、文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ公文書などに示された一揆や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決して見えてこないという認識が示されている。「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴うのであり、それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じている。さらに、1933年から1935年にかけて、民俗資料の分類に関する自身の見解を公表している。 また、柳田は『日本民俗学』(1942年)において「民俗学は微細な事実の考証から出発する」とし、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求め、計画調査を重要視した。
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