日本民俗学とは? わかりやすく解説

日本民俗学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:07 UTC 版)

民俗学」の記事における「日本民俗学」の解説

日本での民俗学近世における国学本草学にも源流見られるが、本格的な研究開始されたのは19世紀末である。一つ嚆矢となるのは坪井正五郎東京人類学会立ち上げた1886年であり、民族学民俗学自然人類学考古学等を包含する人類学」の研究として、「土俗」の調査が行われるようになった一方新渡戸稲造らと村落研究勉強会行っていた農商務省官僚柳田國男は、1909年宮崎県椎葉村聞き書きした狩猟の話を「後狩詞記」(のちのかりのことばのき)として自費出版し、柳田民俗学第一歩踏み出す1913年からは雑誌郷土研究』を創刊するとともに当時イギリス留学から帰国した南方熊楠ゴム編『The handbook of folklore民俗学便覧)』を借り受けそれまで余技道楽とらえていた民俗学学問として体系化する道筋をつけたのであるヨーロッパフォークロアエスノロジーが、残存概念によって古代との連続性持った基層文化明らかにようとするに対して柳田人々の生活向上を初期モチベーションに、民俗学目的常民生活の歴史的変遷同時代生活文化との関係を考察することにあると考えていた。柳田民俗学構築しようとした意図重層的であり、一つには庶民生活史看過する既存文献史学へのアンチテーゼとして、二つには進化主義的な民族学や「土俗学」との棲み分けとして、三つには地方改良運動代表される当時国内文化政策への対抗言説として等、時代状況反映したさまざまな企図もくろまれていたとされる1935年には柳田中心に民間伝承の会」が設立され機関誌発刊民俗学講習会が行われた。またこの時代柳田概説書を精力的に執筆しており、学説史の中では学問として組織方法整った1930年代半ば民俗学完成時期と見なすのが一般的である。1949年、「民間伝承の会」は日本民俗学会改称されこの頃から大学にも民俗学講座設置されるようになったそれまで民俗学柳田邸で行われる木曜会雑誌上において柳田学徒直接指導し、その成果子弟通じて全国広まっていくという意味で、アカデミズム枠外展開した一種運動体だったが、戦後学制の中では國學院大學東京教育大学成城大学などにおいて専門教育開始されることにより、現在にまで至る教育・研究制度的枠組み誕生した。また神奈川大学ではアチック・ミューゼアム(日本常民文化研究所)が移設設置され民俗資料学が研究されている。

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