日本民主主義人民共和国/北日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:17 UTC 版)
「征途」の記事における「日本民主主義人民共和国/北日本」の解説
太平洋戦争後、南樺太と留萌-釧路線以北の北海道に建国された共産主義国家。首都は、豊原市(ユジノサハリンスク)。国旗は白地の中央に赤い星。作中では「北日本」という用語は登場せず、「赤い日本」と表現される。 東京政権側、特に政府関係者からは「向こう側」と呼ばれる。 1947年8月15日に有畑角次を首相に建国されたが、第一次祖国解放戦争後の1953年から1954年にかけて国家保安省長官・川宮勝次の主導の元有畑派が粛清され、川宮が第二代首相として1994年に死去するまで政権を握った。シベリア圏から資源を輸入して工業化を果たしており、兵器を主要輸出品として積極的に輸出を行うことで外貨を稼いでいるが、ソ連崩壊により同盟国価格での資源購入ができなくなったことなどで不況に突入してしまう。政権は度重なる経済政策を行うも不況からは脱することができず、1992年のNSAの分析では10年以内に経済が崩壊すると分析されていた。 国家保安省/サハリン・ホール 北日本の情報機関。略称NSD。「サハリン・ホール」は海外の情報機関がつけたニックネームであり、川宮勝次による有畑派の処刑が国家保安省庁舎の玄関ホールで行われたことに由来している。 創設時の長官は川宮勝次であったが、川宮の首相就任後は秘書であった滝川源太郎が1994年の北日本崩壊まで長官職にあった。 政治将校の他、「弾幕大隊」と称される督戦隊を有する。 人民赤軍 北日本の陸軍。作中では赤衛艦隊や人民空軍に比べると描写が少ない。通常師団の他に、名誉師団名の付与(なお、通常師団でも北海道戦争時の活躍により名誉師団名を付けられた師団は存在した)や通常師団よりも装備や人員において優先的扱いを受ける赤衛師団が存在する。第一統一方面軍 人民赤軍の北海道駐留軍。 1970年代までは2個戦車師団、3個機動歩兵師団を中心にしていたが、統一戦争前には10個戦車師団、8個機動歩兵師団を中心に3個軍22個師団相当の戦闘部隊、5個師団相当の支援部隊を有し、最大動員時60万人に達する戦力を有した。 赤衛艦隊 北日本の海軍。 第一次祖国解放戦争時は賠償艦としてソ連に引き渡された秋月型駆逐艦や松型駆逐艦を主力にしていたが、統一戦争までにソ連から戦艦ソヴィエツキー・ソユーズや空母ヴァリャーグなどを買い入れたほか、エックスレイⅡ級潜水艦を独自建造するなどして戦力を強化した。 人民空軍 北日本の空軍。1994年時点では豊原郊外の地下に中央航空作戦指揮所を有している。 藤堂守の主導によって防空能力第一主義で戦力を整えていった結果、機数は約500機と東側諸国の空軍の平均保有機数の半数程度ながらパイロットの練度が高く新型機の保有比率が高い戦闘機部隊と地対空ミサイルによる防空部隊、弾道ミサイルなどによる遠距離攻撃部隊からコンドラチェンコの指導によって編成されたスペツナズ並みの戦力を有する特殊部隊まで保有しており、東側最強と謳われるほどの戦力を有している。国家航空振興協会 人民空軍の予備部隊。旧式機を使用して青少年に対するパイロット教育を行っている他、人民空軍の委託の元1週間程度の準備で投入可能な予備機200機を保有している。 戦略打撃軍 北日本の弾道ミサイル運用部隊。90年代初頭に編成された第4の国軍であり、指揮系統は川宮首相の直接指揮下に置かれている。また将兵たちも川宮首相に対する忠誠心を教え込まれた生粋の共産主義者で構成されている。 1993年時点では樺太に「実験施設」と称してIRBM基地を置いており、IRBM「人民3号」の各タイプを計25発配備していた。
※この「日本民主主義人民共和国/北日本」の解説は、「征途」の解説の一部です。
「日本民主主義人民共和国/北日本」を含む「征途」の記事については、「征途」の概要を参照ください。
- 日本民主主義人民共和国/北日本のページへのリンク