北海道戦争
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昭和25年(1950年)に始まった南北日本間の戦争。北日本名称「第一次祖国解放戦争」。 昭和26年10月の時点で北日本軍が国連日本援助軍(通称UNJAF)を函館橋頭堡に追い込むほどの快進撃を見せたが、翌27年に行われたアイアン・フィスト作戦によって北日本軍が壊滅し、戦局を一変させることに成功した。 最終的にソ連が北日本に対し反応兵器を供与すると宣言したことにより、曖昧な形での休戦となった。 函館橋頭堡 昭和26年10月時点での戦線。寿都湾からオタモイ山に至る戦線で、攻撃をかける人民赤軍約7個師団に対し、UNJAFの米軍2個師団と日本警察予備隊・第1管区隊が守っていた。 制空権を確保し続けたことで人民赤軍の攻勢を頓挫させ、戦局を転換させるきっかけを作ることになった。 なおこの時福田定一(当時一等警察士)が特車中隊を率いて、1個戦車連隊を壊滅させる戦功を上げている。 アイアン・フィスト作戦 昭和27年6月に行われたUNJAFによる反攻作戦。 函館橋頭堡からの4個師団8万名による地上反撃「アイアン」と石狩湾への6個師団強14万名による強襲上陸「フィスト」の2段階から構成される。また政治的バランスとUNJAF司令官パットン大将の個人的要求により、警察予備隊第2管区隊に加えて第7特車群(司令官・島田豊作一等警察正)が参加している。 6月6日に行われた石狩湾への上陸作戦の成功により作戦全体も完全な成功を収め、北海道に存在した人民赤軍の大部分が殲滅された。 第2次日本海海戦 昭和27年6月5日に行われたUNJAF所属A統合任務部隊(通称エイブル部隊)とソヴィエト援日義勇艦隊、北日本赤衛艦隊の連合艦隊による艦隊戦。 エイブル部隊には改装によって海上警備隊超甲型警備艦となった大和(以降は「やまと」)が加わっており、その火力でクロンシュタット級巡洋戦艦2隻を沈めるなど義勇艦隊を圧倒するが、艦隊旗艦アラバマがソヴィエト艦隊の集中攻撃で沈んだことと、海戦終盤の赤衛艦隊による雷撃でやまとが損傷したことによって、完全な勝利を収めるには至らなかった。 南北定期会談 北海道戦争の休戦後、毎年4月末に分割都市となった旭川市で「新たな平和の道を探る」ために南北日本の代表団と国連のオブザーバーが行う会談。 1982年の会談では藤堂守(当時中将)と進(当時二佐)がある目的で参加させられることになり、太平洋戦争後で唯一兄弟が顔を合わせることになった。
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