事業中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 09:07 UTC 版)
ダム事業がスタートした1991年以降、水没地域の住民から猛烈な反対運動を受け、1996年(平成7年)に住民団体「大多喜ダム建設対策委員会」との補償基準が妥結するまで交渉には5年を費やしている。現在は町道の付け替え工事と並行して水没地域の周辺整備事業の推進を行っているが、地権者約500名の内約30名が用地補償を巡る買収交渉に難色を示しており、補償交渉の完全な妥結までには至っていない。千葉県ではダムの完成時期を2010年(平成22年)と定めていたが現状として付替道路工事のみを先行して実施しているのみであり、大幅な工事進捗遅延は避けられずダム事業は長期化の一途をたどっていた。 こうしたダム事業の長期化が進む一方で、上水道の供給が予定されていた南房総地域の各自治体は当初の予測より人口の伸びが鈍化。そのため当初予測していた水需要も下方修正することになった。このため次第に大多喜ダムの上水道供給は費用対効果の面でメリットが無くなり、2007年(平成19年)には相次いで受益地の各自治体がダム事業の参加から撤退する方針を表明した。こうした県内自治体の動きを受けて千葉県は翌2008年初頭より千葉県公共事業審査委員会に大多喜ダム建設事業の継続の可否を問い、答申の結果同年3月27日に事業中止の方針を正式に発表した。これまでに費やした費用は約67億円で、うち半分は国庫からの補助金であったので千葉県の実質負担は約33億5,000万円である。今後は新たな夷隅川水系の治水対策が求められてゆく。
※この「事業中止」の解説は、「大多喜ダム」の解説の一部です。
「事業中止」を含む「大多喜ダム」の記事については、「大多喜ダム」の概要を参照ください。
- 事業中止のページへのリンク