金欠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
トクヨの人生には常に経済苦が付きまとった。女高師の学生時代には既に学資の負債を抱えており、「死ぬに死ねない立場」と心境を綴っている。石川高女時代は生命保険に入っていたが保険料が払えずに中途解約し、トクヨの金欠を見かねた同僚がトクヨに代わって軍事公債を買い受けたり、トクヨに体操を教えたミス・モルガンが宣教師館の1室にトクヨを住まわせたりしている。これに輪をかけて、実家が債主の手に渡ることになり、母・妹・末弟の3人を金沢に引き取った。この3人は、トクヨの高知師範転任に伴い宮城県に帰り、長弟の清寿が面倒を見た。この間、清寿は結婚し、トクヨは羽織や袴を高知の呉服店に仕立てさせて送った。 体専時代には多額の借金を抱え、急場しのぎに持ち物の質入れや学生から借金をすることもしばしばであった。それでも夫に先立たれた妹のとみとその娘に送金し、家計を支えた。学生から借り入れ・返済するときは、必ず皆がそろう食堂で行い、「皆さんご承認を!」と叫んでいた。校舎の雨漏りも直せず、手を付けてはいけない財団法人の基本金すら取り崩さざるを得ないほどの金欠にもかかわらず、トクヨは人にものをあげるのを好み、学生から20円を借りると、20円の利息を付けて返した。教え子はトクヨの金欠をよく知っていたので、初任給を全額トクヨに寄付したり、雑誌『ちから』を200冊も買い取ったり、赴任先の名物を贈ったりして、トクヨや母校を支えようとした。それでもトクヨは贈られてきた名物を在校生にあげてしまったという。 結局、生前に借金を完済することはできず、遺品には多くの「金子借用書」が含まれていた。
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