首くくり
『吾輩は猫である』(夏目漱石)2 土手三番町に「首懸の松」があり、通りかかった人は皆、そこで首をくくりたくなる。年に2~3人は、その松で首を吊る。歳末のある日、散歩に出た迷亭も、「首懸の松」を見て首をくくりたくなる。しかし、まず家の用事をすませてからと思い、迷亭はいったん帰宅する。すぐに出直して松の下へ行くと、もう誰かが首を吊ってぶらさがっていた。
『閲微草堂筆記』「ラン陽消夏録」47「身代わりを待つ幽霊」 個人的な怒りや恨みから首をくくって死んだ者の霊は、浮かばれぬままその場所に閉じ込められる。次にその場所へ来て首を吊る者があると、先に首をくくった者は、はじめて解放され、輪廻に入って生まれ変わることが可能になる。したがって、首をくくった霊は、誰か来て首を吊ってくれるのを、いつも待っている。
*冥界の川の渡し守は、交代する者が来なければ、いつまでも仕事を続けねばならない→〔冥界の川〕2cの『黄金(きん)の毛が三本はえてる鬼』(グリム)KHM29。
*首をくくった人の悪念が、首くくりの場所へ生者を引き寄せる→〔死神〕7の『絵本百物語』第6「死神」。
『聊斎志異』巻6-225「縊鬼」 范という男が宿屋に泊まり、うたた寝をしていると、若い女が奥から出て来て梁に帯をかけ、首をくくってぶら下がった。范は驚いて宿の主人を呼んだが、その時にはもう女の姿はなかった。主人は「以前、せがれの嫁がここで首を吊って死にました。それではありますまいか?」と言った。女は死後、他のことはすっかり忘れながらも、首をくくった時の苦痛は忘れることができず、その場面を再現しているのだった。
*霊が死後も首吊り行為を繰り返している、ということではなく、過去の首吊り事件の残像が見えただけ、と解することもできるであろう。
★3a.幽霊が人を首くくりに導く。
『幽明録』27「首つりの幽霊」 夜、娘が1軒の邸宅までやって来て、梁に縄をかけて首をつる。近くにいあわせた男が見ると、屋根の上に幽霊がいて、縄を引き絞っている。男は刀を抜いて縄を切断し、屋根の幽霊に斬りつける。幽霊は西の方へ逃げて行った。男は娘を家まで送り届ける。娘の両親は「これは運命のしわざでありましょう」と言って、娘を男の妻として与えた。
『ある小官僚の抹殺』(松本清張) ××省の唐津課長は、ある汚職事件の重要参考人として、警察からマークされていた。官庁と業者のブローカー篠田が、「役所の上役に迷惑が及ばないように、善処してくれ。家族の面倒は十分に見るから」と、唐津を説得する。しかし唐津は、善処=自殺を拒否した。篠田は旅館の一室で唐津を絞殺し、唐津が鴨居で首を吊って自殺したように見せかけた。唐津の死によって、汚職事件の捜査は不可能になった。
『或る阿呆の一生』(芥川龍之介)44「死」 「彼」は窓格子に帯をかけ、懐中時計を持って、試みに縊死するまでの時間を計った。すると、ちょっと苦しかった後、何もかもぼんやりなりはじめた。そこを1度通り越しさえすれば、死に入ってしまうのに違いなかった。「彼」は時計の針を調べ、苦しみを感じたのは1分20何秒かだったのを発見した。
『旅あるきの二人の職人』(グリムKHM107) 靴屋が、仕立て屋の両目をえぐり取る(*→〔交換〕3c)。盲目になった仕立て屋は、野原の絞首台の下で眠る。絞首台にぶら下がる罪人2人が、「ここから垂れる露で洗えば、なくなった目玉が生えかわるんだ」と話し合う。仕立て屋は目の窩(あな)を露で洗い、新しい目玉が生え出る。後に靴屋が絞首台の所まで来ると、罪人たちの頭にとまっていた2羽の鴉が飛びおり、靴屋の両目をつつき出した。
*→〔心〕6の『大般涅槃経』(40巻本「師子吼菩薩品」)も同様に、悪人によって目をつぶされる物語だが、その後の展開が大きく異なる。
『ドイツ伝説集』(グリム)336「絞首台から来た客」 旅館の亭主が絞首台のそばを通りかかり、吊るされている3人の男の遺骸に、「今夜、食事に来ても良いぞ」と言う。するとその夜、本当に3人の幽霊が旅館へやって来る。幽霊はすぐに消えたが、亭主は恐怖で床についてしまい、3日目に死んだ。
★6.首くくりの女神。
イシュタムの神話(コッテル『世界神話辞典』アメリカ) イシュタムは、マヤの自殺の女神で、首にロープを巻きつけてぶら下がる姿として描写される。首吊りによる自殺者、戦死者、いけにえの犠牲者、出産時に死んだ女、聖職に従事した神官たちの魂は、イシュタムによって、ただちに楽園へ運ばれる。楽園の住民は、宇宙樹ヤシュチェの木陰で、あらゆる苦しみと欠乏から解放されて憩うのである。
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