フアン・マヌエル・デ・ロサスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > アルゼンチンの政治家 > フアン・マヌエル・デ・ロサスの意味・解説 

フアン・マヌエル・デ・ロサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:58 UTC 版)

フアン・マヌエル・デ・ロサス

フアン・マヌエル・デ・ロサス (Juan Manuel de Rosas,1793年3月30日 - 1877年3月14日)は、アルゼンチンの政治家、軍人、カウディーリョ。同国史上、フアン・ペロンと並び評価の分かれる指導者である。

ブエノスアイレス出身。ロサス家は祖父の代にスペインブルゴスから移住した家系であり、父は官僚でありながら、ブエノスアイレス南部の草原地帯で守備隊としてインディオとの戦いに従事した。ロサスの父は武勇に優れていたため、父の代には既にインディオからもロサスという姓は勇猛な人物として知られていた。ロサスはブエノスアイレス市内に生まれたが、幼少時に祖父の牧場で黒人の召使いを従えて乗馬や投げ縄を覚え、友好的なインディオから言葉を教わり、パンパに根付いていたアンダルシア風のギターを習得した。1806年にイギリス軍がブエノスアイレスに侵攻英語版すると、少年でありながらロサスもポルテーニョ民兵隊に加わった。

成人してから事業を興し、牧場や肉の塩漬け処理場を一代で築いた財産家となり、その資産で私兵を雇ったり、貧しい人々に施しを与えた。ロサスは財産に加えてその容貌や嘘をつかない性格、州内一の「馬上の人」としての素質によりカリスマとなり、「青い眼のガウチョ」と呼ばれてガウチョや黒人といった底辺の人々からも尊敬されるようになった。

ブラジル戦争中に州権論の立場からベルナルディーノ・リバダビア英語版大統領の中央集権的な首都令を批判することによって、連邦派(ブエノスアイレスの利権を取り上げようとする中央集権主義者に抵抗する保守派)の統領となり、1829年に統一派でいとこだったフアン・ラバージェ英語版を打倒してブエノスアイレス州知事となった。全土の混乱を鎮めるためにロサスは州知事として連邦派のリトラルや内陸部のカウディーリョと同盟を結び、統一派の中央集権同盟を打倒すると、アルゼンチンの内戦は小康状態に入った。

1832年に任期切れで州知事を退陣すると、私兵を率いて「荒野の征服作戦英語版」と呼ばれる軍事行動を起こし、インディオをブエノスアイレス州の領域からほぼ追い出した。この時に約6,000人のインディオが殺害された。

1835年に州知事に返り咲き、17年間独裁政治を行い反対派や自由主義者を弾圧した。ロサスは保護貿易政策を巡る英仏やウルグアイとの戦争(大戦争)を乗り越え、1850年には英仏両国を撤退に追いやった。この時期にロサスはフランスブローニュ=シュル=メールに亡命していたアルゼンチンの解放者ホセ・デ・サン・マルティンからサーベルを贈られている。しかし、1852年に、腹心だったフスト・ホセ・デ・ウルキーサ英語版が反乱を起こすと、ウルキーサにカセーロスの戦いスペイン語版西: Batalla de Caseros)で敗れ、イギリス船に乗り込み、娘と共に亡命した。後の為政者とは違ってロサスは海外に資産を残さなかったため、サウサンプトンで困窮の内に死去した。

失脚後、自由主義者の政権により長らくロサスは「独裁王」、「暴君」、「南米のネロ」と呼ばれて独裁者の代表格として蛇蝎のように嫌われ、遺体は長らくアルゼンチンに入国することを拒まれてきた。しかし、1930年代のアルゼンチンにおける保守思想の復権の中で再評価の機運が生まれ、1982年のマルビナス戦争終結後にはアルゼンチン政府によって遺体は埋葬され、公式に再評価された。

現在のアルゼンチンではロサスの評価は二つに分かれる。一つは長らく公式の史観によって提示された、血に塗れた独裁者というものであり、もう一つは外国の干渉に耐えた偉大な愛国者といったものである。後者の立場は特に「ロシスモ」(Rosismo、ロサス主義)と呼ばれる。現行の20ペソ紙幣には、ロサスの肖像が使用されている。

関連項目

外部リンク


フアン・マヌエル・デ・ロサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 03:45 UTC 版)

連邦同盟」の記事における「フアン・マヌエル・デ・ロサス」の解説

?1850年時点完成したブエノスアイレス州の旗であり、アルゼンチン連邦にまで拡大して使用された ?連邦同盟最後時点におけるエントレ・リオス州の旗。1833年-1852年 ?1823年の旗の後のコリエンテス州の旗 ?サンタフェ州二つ目の旗(1825年)

※この「フアン・マヌエル・デ・ロサス」の解説は、「連邦同盟」の解説の一部です。
「フアン・マヌエル・デ・ロサス」を含む「連邦同盟」の記事については、「連邦同盟」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「フアン・マヌエル・デ・ロサス」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フアン・マヌエル・デ・ロサス」の関連用語

フアン・マヌエル・デ・ロサスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フアン・マヌエル・デ・ロサスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフアン・マヌエル・デ・ロサス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの連邦同盟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS