誕生と初期の政治活動
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「ニコラス・アベジャネーダ」の記事における「誕生と初期の政治活動」の解説
1837年10月3日、サン・ミゲル・デ・トゥクマンに生まれた。兄にはアルゼンチンで財務大臣・内務大臣を務めたマルコ・アウレリオ・アベジャネダ(スペイン語版)がおり、議員として当時有名であったという。 丁度4歳の誕生日に父マルコ・アベジャネーダ(Marco Avellaneda)が反対派や自由主義者を弾圧していたフアン・マヌエル・デ・ロサスへの反乱のために大佐のマリアーノ・マーザの手で処刑される。その後、母とともにボリビアに移住した。コルドバで法律を学んだが、卒業できなかったという。トゥクマンに戻り、「エル・エコ・デル・ノルテ(El Eco del Norte)」を設立した後、1857年にブエノスアイレスに移り、「エル・ナシオナル(El Nacional)」のディレクター、及びフロレンシオ・バレラ(スペイン語版)により創刊した新聞「エル・コメルシオ・デ・ラ・プラタ(El Comercio de la Plata)」の編集者になった。ブエノスアイレスでは、ドミンゴ・ファウスティノ・サルミエント(英語版、スペイン語版)と出会い、学業を終えた。サルミエントは、ブエノスアイレス大学の経済学の教師にならんとしたアベジャネーダの手助けをした。彼は『公有地に関する法律の研究(スペイン語: Estudio sobre las leyes de tierras públicas、英語の「Study of the laws about public lands」に相当)』を執筆し、公有地を生産者に与えて生産させることを提案した。アメリカで採用されているのと類似したこのシステムは、官僚主義を減らすことを提案し、またそれによって安定した人口とその増加が可能になると指摘した。 1859年に下院議員に、翌1860年ブエノスアイレス大学の経済学の教授になると、続けて1866年ブエノスアイレス州のアドルフォ・アルシーナ(スペイン語版)のもとで大臣になる。
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