誕生と元服
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嘉元元年12月2日(1304年1月9日)、北条貞時の三男として生まれる。三男であったが、長兄と次兄は夭折しているので、事実上の嫡男であった。 延慶2年(1309年)に7歳で元服する(『鎌倉年代記』)。この詳しい様子を伝える史料は今のところ発見されていないが、それまでの得宗家当主北条泰時・経時・時頼・時宗の元服の様子は『吾妻鏡』で、父・貞時の元服の様子は『建治三年記』で確認することができる。同様に、幕府の御所において、将軍(当時は守邦親王)を烏帽子親として行われたものと考えられている。 元服に際しては烏帽子親の偏諱(実名の1字)を受けることが多いが、「高時」の名乗りを見て分かる通り、将軍の偏諱(守邦親王の「守」または「邦」の1字)は受けなかったようである。同時代(の上の立場)の者で「高」の字を用いる人物はおらず、研究では祖先とされる平高望(高望王)に肖ったものとする見解が示されている。元々は細川重男がこの説を唱えたものの根拠なしとして論文等では示してはいなかったが、角田朋彦が根拠付きでこれを支持している。これは、細川が著書で、北条時宗(高時の祖父)の代に、得宗家による政治支配体制を確立させるにあたりその正統性を主張するために、祖にあたる北条義時を武内宿禰になぞらえる伝説が生まれて流布していたこと や、時宗とは不可分の関係にあった平頼綱(貞時の乳母の夫にあたる)が自らの家格を向上させるため、次男・資宗(助宗とも書く)の名字(名前の1字)を平資盛に求めた可能性があること を述べており、こうした考え方が可能ならば、同様に時宗が自分の嫡男の名字を平貞盛に、貞時も嫡男の名字を高望王に、それぞれ求めたと考えることができるのではないかという理由によるものである。加えて角田は、貞時・高時の代には将軍→御家人という偏諱の授与の図式は存在せず、得宗家当主である貞時の「貞」の字や高時の「高」の字が他の御家人に与えられる図式がこの時代に成立していたことが御家人の名前から窺え、これは得宗権力が確立していたことの徴証の一つとして読み取れるとする見解を示している。
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誕生と元服
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文永8年12月12日(1272年1月14日)、北条時宗の嫡男として鎌倉に生まれる。幼名は幸寿丸。 建治3年(1277年)12月2日に元服して貞時と名乗った。この様子は『建治三年記』の同日条に得宗家嫡男の元服の貴重な記録として残されている。この時の烏帽子親は明確には示されていないが、「二棟の御所西の御格子に上らる。西の御侍」の記述から、元服が行われた場所が二棟御所の西侍であり、「越州刻限を申さる。その後出御か。次いで賢息(=貞時)御簾中に参らる。」という表現から当時の将軍・惟康親王が立ち会ったことが窺えるため、これまでの得宗家当主と同様に将軍(惟康親王)を烏帽子親として元服したものとみられている。 元服に際しては烏帽子親の偏諱(実名の1字)を受けることが多いが、「貞時」の名乗りを見て分かる通り、将軍の偏諱(惟康親王の「惟」または「康」の1字)は受けなかったようである。同時代(の上の立場)の者で「貞」の字を用いる人物はおらず、研究では祖先とされる平貞盛に肖ったものとする見解が示されている。元々は細川重男がこの説(加えて貞時の息子・高時の「高」が高望王に由来するとする説)を唱えたものの根拠なしとして論文等では示してはいなかったが、角田朋彦が根拠付きでこれを支持している。これは、細川が著書で、父の時宗の代に、得宗家による政治支配体制を確立させるにあたりその正統性を主張するために、祖にあたる北条義時を武内宿禰になぞらえる伝説が生まれて流布していたことや、時宗とは不可分の関係にあった平頼綱(貞時の乳母の夫にあたる)が自らの家格を向上させるため、次男・資宗(助宗とも書く)の名字(名前の1字)を平資盛に求めた可能性があることを述べており、こうした考え方が可能ならば、同様に時宗が自分の嫡男の名字を平貞盛に求めたと考えることができるのではないかという理由によるものである。加えて角田は、貞時の代には将軍→御家人という偏諱の授与の図式は存在せず、得宗家当主である貞時の「貞」の字が他の御家人に与えられる図式がこの時代に成立していたことが御家人の名前から窺え、これは得宗権力が確立していたことの徴証の一つとして読み取れるとする見解を示している。
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