北条高時とは? わかりやすく解説

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北条高時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 03:37 UTC 版)

北条 高時(ほうじょう たかとき)は、鎌倉時代末期の北条氏得宗家当主鎌倉幕府第14代執権(在職:1316年 - 1326年)。第9代執権・北条貞時の三男。


注釈

  1. ^ 加えて父・貞時の「貞」が平貞盛に由来するとする説。
  2. ^ 角田の論文が出された後に、赤橋久時久明親王、久時の子・守時と高時の嫡男・邦時守邦親王の偏諱を賜っていることが指摘されている[6]が、これは得宗家や赤橋流北条氏が将軍を烏帽子親とする家系であったためであり、例外とみなす。
  3. ^ 11代宗宣、12代煕時、13代基時の3名を指す。父である第9代・貞時は正安3年(1301年)に10代師時に執権職を譲っていたが、師時は貞時の1ヶ月ほど前に亡くなっており、貞時逝去時は宗宣が執権の座にあった。
  4. ^ ドラマ(創作物)の脚色によるものではあるが、NHK大河ドラマ太平記」(1991年)の第1話では又太郎(尊氏)が北条高時を烏帽子親として元服し「高」の字を与えられた様子が描かれ、ナレーションでもその旨が解説されていた。
  5. ^ 但し、「高綱」の名は『系図纂要』等の系図類に見られるのみで、『小笠原礼書』「鳥ノ餅ノ日記」徳治2年(1307年)7月12日条から当初は「盛宗」と名乗っており、高時元服の三ヶ月後には出家している事が確認されるため、その三ヶ月ほどの短期間に名乗っていた可能性は(ないとは言えないものの)低いとされる。

出典

  1. ^ 鈴木由美『中先代の乱』中央公論新社〈中公新書〉、2021年、38頁。 
  2. ^ a b 山野 2012, p. 164.
  3. ^ 細川重男、本郷和人「北条得宗家成立試論」『東京大学史料編纂所研究紀要』11号、2001年。 
  4. ^ 細川重男「得宗専制政治の論理」『年報三田中世史研究』9号、2002年。 
  5. ^ 細川重男「飯沼大夫判官と両統迭立」『白山史学』38号、2002年。 
  6. ^ a b 山野 2012, p. 182, 脚注(27)
  7. ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について : 鎌倉幕府御家人の場合」『中央史学』第2巻、中央大学、1979年3月、10-26頁、CRID 1570009752940858752ISSN 03889440 にはその事例が幾つか紹介されている。後述の偏諱を受けた人物の節も参照のこと。
  8. ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』3・4号、2004年、20-21頁。 
  9. ^ 主な行事:徳崇大権現会・大般若経転読会”. 金龍山釈満院円頓宝戒寺. 2016年3月23日閲覧。
  10. ^ a b 永井 2009, p. 4.
  11. ^ 永井 2009, pp. 4–5.
  12. ^ 日本史史料研究会 & 細川 2015, p. 175.
  13. ^ 日本史史料研究会 & 細川 2015, p. 176.
  14. ^ 細川 2011, pp. 132–133, 142–145.
  15. ^ 財団法人 三溪園 編『横浜開港一五〇周年記念特別展「原三溪と美術ー蒐集家三溪の旧蔵品」』2009年、21頁。 
  16. ^ 永井 2009, pp. 11–12.
  17. ^ a b 永井 2009, p. 12.
  18. ^ 永井 2009, p. 10.
  19. ^ 永井 2009, pp. 6–8.
  20. ^ a b c d e f g h i j k l 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』2号、1979年。 15頁の系図ほか。
  21. ^ 細川 2000, p. 32.
  22. ^ 田中 2013, p. 25, 「中世前期下野足利氏論」.
  23. ^ a b c 田中 2013, p. 69, 臼井信義「尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―」
  24. ^ 櫻井彦; 樋口州男; 錦昭江 編『足利尊氏のすべて』新人物往来社、2008年、224頁。 
  25. ^ 江田郁夫「総論 下野宇都宮氏」『下野宇都宮氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻〉、2011年、9頁。 
  26. ^ 峰岸, 入間田 & 白根 2007, p. 96, 市村高男「鎌倉期成立の「結城系図」二本に関する基礎的考察 -系図研究の視点と方法の探求-」.
  27. ^ 峰岸, 入間田 & 白根 2007, 今野慶信「藤原南家武智麿四男乙麻呂流鎌倉御家人の系図」.
  28. ^ 森茂暁『佐々木導誉』吉川弘文館〈人物叢書〉、1994年、17頁。 
  29. ^ 肥前千葉氏調査委員会「「服部英雄 中世小城の景観・海から考える」」『中世肥前千葉氏の足跡 : 小京都小城の源流』佐賀県小城市教育委員会、2011年。hdl:2324/20437CRID 1130282270956311040https://hdl.handle.net/2324/20437 尚、この論文では高胤の兄として千葉胤高も高時の1字を受けた人物として掲載されているが、胤高なる人物は系図類では確認されていない。
  30. ^ 細川 2000, p. 183, 脚注(61).
  31. ^ 細川 2000, p. 184, 脚注(73).
  32. ^ 群書系図部集 四』p.362 「大友系図」に「太郎高時賜一字早世」、p.372 「立花系図」に「北條相模守高時爲烏帽子親。授一字ト云々。」、『入江文書』(『大分県史料10』所収)の「大友田原系図」に「相模守高時加元服」とある。
  33. ^ 典拠は『結城市史』など。詳しくは当該項目を参照のこと。


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