イスパノアメリカにおけるカウディーリョ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 09:18 UTC 版)
「カウディーリョ」の記事における「イスパノアメリカにおけるカウディーリョ」の解説
19世紀に入り、イスパノアメリカではスペインの植民地政府が消えると、各地で一種の権力の空白が生じた。この空白を埋めたのがカウディーリョと、カウディーリョに率いられたガウチョやジャネーロなどであり、彼らは土地から上がる利益で私兵を率い、権威的、独裁的に暴力を背景にした政治を行った。 アルゼンチンのフアン・マヌエル・デ・ロサスに代表されるように、カウディーリョの政治の多くは何の建前もない力のみが法律の政治だった。しかし、カウディーリョはそれゆえに民衆の文化を体現する存在として受け止められ、民衆を満足させるカリスマ性と勇気を持ち合わせていた。こうした支持の背景には、カウディーリョやガウチョが折から進められ、押し付けられていた近代化・西欧化の流れに抵抗して、民族的な文化を守ろうとする存在だったという面があるからだった。 こうして特に現在のアルゼンチン・ウルグアイでは土着主義の代表のような形で各州の力の支配を目指し、主に連邦同盟についてガウチョを率い、イギリスとの戦争(ラプラタ侵略(英語版))や、アルゼンチン独立戦争とその後の内戦、インディオ討伐(荒野の征服作戦(英語版)、砂漠の征服作戦(英語版))などで戦ったが、その政治姿勢は西欧化、特にアングロ・サクソン化、フランス化を目指し、スペイン的なものやインディオのような土着的なものを野蛮と切って捨てるバルトロメ・ミトレ(英語版)やドミンゴ・サルミエント(英語版)をはじめとする一群の自由主義知識人には特に嫌われ、国家近代化を目指すためには消し去らなければならないものと思われた。1862年の自由主義的なアルゼンチン統一以降は政府の攻勢により土着勢力は敗北したが、こうした政府の攻勢に対して僅かな時間ながらカウディーリョが対抗できたのは民衆の支持があったからだった。
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