ロサスのアルゼンチン統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/07 17:22 UTC 版)
「ラ・プラタ戦争」の記事における「ロサスのアルゼンチン統治」の解説
詳細は「アルゼンチン内戦(英語版)」を参照 1828年にシスプラティーナ戦争が終結した後、短期間の無政府状態を経てフアン・マヌエル・デ・ロサスがブエノスアイレス州知事に就任した。ロサスは名目上ではほかの州知事と同程度の権力しか有さなかったが、実質的にはアルゼンチン連合全体を支配した。彼は地域自治権を求める連邦党(英語版)の一員だったが、実際にはほかの州をも支配する独裁者だった。彼はアルゼンチンを20年間統治したが、彼の統治期に連邦党と統一党(英語版)の武装衝突が再開してしまった。 ロサスは元リオ・デ・ラ・プラタ副王領を再建して、アルゼンチンを中心とする、強力な共和制国家を建国しようとした。19世紀初頭のアルゼンチン独立戦争により、副王領は数か国に分裂した。アルゼンチンが副王領の再統一を果たすにはボリビア、ウルグアイ、パラグアイの3か国、そしてブラジル帝国の南部地域の一部を併合しなければならなかった。ロサスはまず、この考えに同意する同盟相手を見つける必要があった。時には近隣諸国の内政に介入して、アルゼンチンとの連合の支持者を援助したり、反乱や戦争のための資金を提供する必要もあった。
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