ロサス時代(1829年-1852年)
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「アルゼンチンの歴史」の記事における「ロサス時代(1829年-1852年)」の解説
1828年にブラジル戦争の集結と引き換えにアルゼンチンの一部だった東方州はウルグアイ東方共和国として独立したが、国内の多くの勢力は未だにこれを認めず、そのためにドレーゴは銃殺された。ドレーゴを殺害した帰還将校のフアン・ラバージェは自らブエノスアイレス州知事となったが、統一派のラバージェが連邦派のドレーゴを殺害したことから両者の対立は一層深まった。両派の対立の中で翌1829年12月にラバージェを打倒して政権に就いた連邦派のロサスは、中央政府を築かずにブエノスアイレス州知事としてリトラル三州の連邦派カウディージョと同盟して連邦協約を結び、中央集権同盟を破ることにより連邦派の主導権を確立した。ロサスは1832年にサンタフェのロペスやラ・リオハのキロガらの地方諸州の連邦派カウディージョと同盟することによって全アルゼンチンを事実上統一した。アルゼンチン史ではこの1829年から1852年までをロサス時代と呼ぶ。 こうして確立された平和を背景に1832年にロサスは州知事を辞したが、自らも牧場主の大土地所有者であったロサスが権力を握ったことにより、この時期にアルゼンチンの大土地所有制は拡大することになる。州知事を辞したロサスは1833年に現ブエノスアイレス州南部の敵対的インディオに対して、ガウチョ、黒人、友好的インディオ、クリオージョからなる私兵を率いて討伐作戦を行った。この作戦により実に約6,000人のインディオが犠牲になり、このようにしてブエノスアイレス州は領土を拡大し、征服した土地はロサスの腹心達に分配された。 しかし、1835年に内陸部の連邦派の指導者、フアン・ファクンド・キロガが暗殺されると再び全土に内戦が訪れたために、ロサスは州議会の要請によって再びブエノスアイレス州知事に就任し、独裁権を握った。内陸部の連邦派との関係によりロサスは同年に保護関税制度を創設し、崩壊が進むアルゼンチン内陸部の諸産業(マニュファクチュア)を保護したが、これは国内産業の生産力の限界(国内市場を満たすことができなかった)により、1841年以降は徐々に国内市場を充足できない産業への保護政策は緩和されることになり、さらに1845年の自由貿易を求めるイギリス=フランス艦隊の攻撃によってロサスは保護貿易政策の放棄を迫られることにもなった。 多くの当時のアルゼンチン人と同様に、ロサスもまたブラジル、イギリスの干渉が進むウルグアイ、パラグアイをアルゼンチンの領土であると考えていたが、1839年にアルゼンチン統一派と結び付いたウルグアイのコロラド党政権によるアルゼンチンへの宣戦布告から始まった大戦争をきっかけにして特にウルグアイに対して干渉を行うことになる。ラ・プラタ地域を勢力圏に入れることと、ロサスによるアルゼンチン市場の保護貿易政策の撤回を目論んだイギリス、フランス、およびロサスに敵対する国内勢力を敵に回しこの戦争は行われた。ロサスは国内の土着勢力との同盟、具体的にはアフリカ系アルゼンチン人やムラートを秘密警察ラ・マソルカとして組織し、密告によって国家のヨーロッパ化、白人化を目論んでいた自由主義知識人や、農村からの収奪によってヨーロッパの文物の奢侈に溺れる不在地主を粛清し、ロサスに対する個人崇拝を徹底した恐怖政治による全体主義体制に近い独裁体制を確立することによって戦争を遂行し、1850年には両国を撤退に追いやることになった。 しかし、1833年にアルゼンチン領だったマルビナス諸島は抵抗むなしくイギリスに占領され、さらに英仏撤退後、ファラーポス戦争(ブラジル最南部のリオ・グランデ・ド・スル州の分離主義抗争)を収めたブラジル帝国が再びウルグアイ、パラグアイへの干渉を進めるために干渉に乗り出した。ブラジルはブエノスアイレスの利益を中心に政治を行うようになっていたロサスと利害を分かち、袂を断っていたリトラル三州のカウディージョの代表だった フスト・ホセ・デ・ウルキーサと密約を結んだ。連邦派によるモンテビデオの攻略が迫り、ウルグアイのアルゼンチンへの併合も時間の問題かと思われた1851年にウルキーサはロサスに反旗を翻し、ブラジル=ウルグアイ=アルゼンチン統一派の同盟軍が1852年2月3日にロサスをカセーロスの戦いで破ることによりロサス時代は終わりを迎えた。土着文化との同盟によって独裁を行っていたロサスが失脚すると、以降のアルゼンチンでは自由主義者の手によって急速に近代化が進むことになるが、ヨーロッパ移民の導入と土着文化の弾圧によって上から押し付けられた近代化は、後の国民統合に大きな禍根を残すこととなった。
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