バビロンとの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 14:19 UTC 版)
リム・シン1世の治下で拡大を続けたラルサ王国だったが、バビロンでハンムラビが即位すると防勢に回るようになった。ハンムラビは、北部メソポタミアで最強の勢力を誇ったアッシリアのシャムシ・アダド1世の支持を得て基盤を固め、南方に領土拡大を図った。紀元前1785年の戦いで、イシン市、ウル市、ウルク市はハンムラビによって攻略され、ラルサはこれらへの支配権を失った。 紀元前1781年にアッシリア王シャムシ・アダド1世が死ぬと、アッシリアは瞬く間に弱体化し、マリ王国の復活やエシュヌンナの拡大などを経て、メソポタミアには「十分強力な王はいない」状態となった(マリの有力者による演説)。 ハンムラビは、マリ王ジムリ・リムとの同盟関係を通じて兵力を手に入れ、エシュヌンナやアッシリアなど周辺国との戦いに勝利し、ラルサへも圧迫を加えていた。リム・シン1世はハンムラビに対して同盟の申し入れを行ったが、ハンムラビはこれに対し明確な回答を返さなかった。 紀元前1763年、ラルサ市はバビロン軍の攻撃を受けて陥落した。この時の戦いがどのようにして始まり、どのような経過を辿ってバビロンが勝利したのかは分かっていない。 独立国としてのラルサの歴史はこれによって終焉したが、ハンムラビ王はラルサ市を南部メソポタミア支配の拠点として更に拡大したため、ラルサ市自体はその後もしばらくの間、繁栄を続けた。
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