ユリウス暦への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/23 15:04 UTC 版)
「カッパドキア暦」の記事における「ユリウス暦への移行」の解説
ハカーマニシュ朝期に成立したカッパドキア暦は、王朝滅亡後も長きにわたり存続していた。しかし古代末期にはすでにユリウス暦への移行が済んでおり、カッパドキア暦は痕跡を残すのみになっていた。歴史家のSacha Sternは、紀元前44年にユリウス暦への移行が行われた可能性があるとしている。カッパドキア暦においては、ユリウス暦での閏日を追加する仕様に、本来5日間の追加日を増やすことで対応した。このような暦の「ユリウス暦化」が実施されたのは、おそらくローマ勢力下の東方では、エジプト暦をも差し置いて初めてのことだった。ローマの影響下で「ユリウス暦化」が行われても、カッパドキアでの新年は従来のペルシア系の暦と同様の時期に設定され、一年を12か月・30日に5日を加える構造が維持されていた。
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