ユリウス暦の暦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:27 UTC 版)
ユリウス・カエサルがエジプトを征服した紀元前46年に、アレキサンドリアの暦学者ソシゲネスに命じてエジプト暦を改良した暦を古代ローマに導入した。これをユリウス暦(=太陽暦)という。当時使われていたローマ暦(=太陰暦)は実際の季節と3か月もずれてしまっていたため、これを調整するために閏月を3か月分挿入した。なお、この際に春分を3月25日と定め、年始をマルティウスからヤヌアリウスに移動させ、クインティリスを自分にちなんだユリウスと改称させた。 カエサル暗殺後、本来なら閏年を4年に1度とすべきところを誤って3年に1度入れてしまったため、3日間のずれが生じてしまった。そこで、後継者となったアウグストゥスがこれを調整したが、その際にセクスティリスを自らにちなんでアウグストゥスと改称させた。 326年に行われたキリスト教のニカイア公会議は、春分を3月21日、復活祭を春分後の満月の後の最初の日曜日とすること、その復活祭の日付を基にその他の移動祝祭日の日程を定めることを決定した。ユリウス暦では28年を周期とする日曜文字(Dominical Letter)と春分翌日である3月22日の月齢(エパクト)に基づいて算出された。ユリウス暦にも実際の太陽年とのずれが存在したものの、教会当局は暦上の春分を重んじた。そのために実際の太陽年とのずれは次第に大きくなり、16世紀には実際の春分が3月11日に到来するなどの問題が生じてきた。
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