ユリウス通日の考案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:43 UTC 版)
ユリウス通日は1583年にスカリゲル(ジョゼフ=ジュスト・スカリジェ(英語版))(1540年-1609年)によって考案された。スカリゲルは1582年のグレゴリオ暦改暦によって年代学(英語版)における日付けの計算が煩雑かつ混乱してしまうことを予想して、ユリウス暦、グレゴリオ暦双方での日付の換算や日数計算の便のためにこれを考案した。 スカリゲルが基準にした紀元前4713年は、以下の3つの周期の第1年目が重なる年であった。 太陽章(英語版)(28年) - 日付と七曜が揃う周期 太陰章(メトン周期)(19年) - 月相(月の満ち欠け)と日付が揃う周期 インディクティオ(15年) - ローマ帝国での徴税額の査定更正周期 以上の3つの周期が揃うには7980年 (=28×19×15)を要する。これをユリウス周期という。ただし、ユリウス通日そのものは永遠に続く値であって周期性があるわけではないので、「周期」の意味はもはやなくなっている。 その後、天文学者ジョン・ハーシェルが1849年の著書Outlines of Astronomyで日数や時間の計算にユリウス通日を利用する方法を考案した。これが広まり、世界中の天文学者が日数計算にユリウス通日を用いるようになった。
※この「ユリウス通日の考案」の解説は、「ユリウス通日」の解説の一部です。
「ユリウス通日の考案」を含む「ユリウス通日」の記事については、「ユリウス通日」の概要を参照ください。
- ユリウス通日の考案のページへのリンク