安倍三寅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:52 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動安倍 三寅(あべ の みとら)は、平安時代前期の貴族。三河守・安倍氏主の子。官位は従五位上・因幡権守。
経歴
貞観6年(864年)従五位下に叙爵(この時の官職は左近衛将監)。のち、散位を経て貞観7年(865年)三河権介、貞観8年(866年)近江権大掾、貞観10年(868年)近江介と清和朝において地方官を歴任。また貞観8年(866年)11月には鷹三連の飼養を朝廷から許されている[1]。
陽成朝では右馬助次いで左馬助と馬寮の官人を務め、元慶3年(879年)に従五位上に昇叙されている。元慶8年(884年)光孝天皇の即位後まもなく鎮守府将軍に任命されると、仁和2年(886年)因幡権守と光孝朝では再び地方官を歴任した。
官歴
『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位上。左近衛将監
- 貞観6年(864年) 正月7日:従五位下
- 貞観7年(865年) 正月27日:三河権介
- 貞観8年(866年) 正月13日:近江権大掾
- 貞観10年(868年) 正月16日:近江介
- 時期不詳:右馬助
- 元慶3年(879年) 11月25日:従五位上
- 元慶5年(881年) 正月7日:見左馬助
- 元慶8年(884年) 3月9日:鎮守将軍
- 仁和2年(886年) 2月21日:因幡権守
系譜
脚注
参考文献
固有名詞の分類
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