皇慶附嘱状とは? わかりやすく解説

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皇慶附嘱状〈永承三年七月二十三日/〉

主名称: 皇慶附嘱状〈永承三年七月二十三日/〉
指定番号 121
枝番 01
指定年月日 1989.06.12(平成1.06.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1通
時代区分 平安
年代 1048
検索年代
解説文:  天台宗谷流の祖として知られる皇慶(九七七一〇四九)が、その没する前年弟子安慶与えた附嘱状と起請である。
 いずれも表具のままに伝来したもので、このうち附嘱状は永承三年一〇四八七月二十三日付で、弟子安慶顕密法文仏像道具等を与えたのである文中皇慶先師静真遺戒従い若年ではあるが瀉瓶弟子として安慶選び、これに法文以下を附嘱することとし次第述べ上﨟の人といえどもこれに異を唱えることのないよう重ねて記している。年紀についで皇慶自署があり、更に本文同筆で「件付属有実、仍加證署」として山内の上﨟達による証判加えられている。『僧綱補任』(興福寺本)等によれば草名等を加えている人物は、少僧都良円権少僧都明快権少僧都慶範等で、いずれも皇慶の附法をうけ、当時僧綱にあった人である。これについで、同じく皇慶流の阿闍梨定誓、覚尋内供奉某等三名連署がみえている。
 起請は、同年八月二十三日付で顕密法門等の寺外への持出し禁じた置文で、日下皇慶自署がある。皇慶この中で法門等を安慶附属したからには自分没後は、たとえ一紙一巻といえどもこれを経蔵の外へ借り出すことを厳禁している。
 皇慶橘広相の孫で、七歳で叡山登り静真等に師事し台密はじめとして東密悉曇にも通じ天台座主勤め台密十三流の祖、谷流開祖となった人物で、谷阿闍梨【たにのあじやり】と呼ばれた。また丹波国桑田郡池上住したので、丹波阿闍梨池上阿闍梨とも称され永承四年七月二十六日叡山東塔井房において七三をもって示寂した。
 この附嘱をうけた安慶は、長宴、院尊並び称され皇慶門下で、皇慶の甥と伝え池上嫡流として谷阿闍梨、井房阿闍梨称した
 この両通は、類例少な十一世紀の附嘱状、置文遺例として、また伝来稀な皇慶文書として注目される
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