中国軍の防衛方針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 19:16 UTC 版)
第一次長沙作戦後、重慶国民政府は長沙の不落を宣伝し、湖南省・長沙の重要性を認識した蔣介石委員長は、第6、第9戦区の軍長・師長を南岳へ招集して督励した。また、第9戦区司令長官・薛岳上将は、11月17日に戦区内の官僚・軍人代表を長沙に集め、軍民一体による戦備の強化を訴えた。薛岳長官は、その防衛方針として「天炉戦法」と名付けた後退決戦の戦略を示した。それは道路の徹底破壊、中間地帯の焦土化(空室清野)、伏撃地区の縦深配置などで敵との戦力の逆転を図り、決戦地区(長沙付近)に誘い出した日本軍を四周から「天然の炉で鉄を溶かす」ように包囲殲滅するという戦略である。 この方針に基づいて、新牆河―汨水の間の地域が伏撃・誘撃地帯、瀏陽河―撈刀河間の地区が決戦地区に指定され、各部隊が配置された。また、湖南省の民衆は道路の破壊、水田の蓄水、食料の運び出しなどの作業に総動員され、保甲制度等の民衆組織を強化して準備を整えた。これら民衆組織は、土木作業などのほかに密偵の役割も果たし、狼煙をあげて日本軍の接近を知らせた。道路破壊・陣地構築・輸送・警戒連絡などに動員された民衆は20万人以上に達した。 長沙城について薛岳長官は、第10軍(軍長:李玉堂)にその防衛を命じた。第10軍は市民・物資を疎開させ、城壁内外に堡塁・陣地を構築し、配兵・砲の設置を行なって戦闘準備を整えた。また、野戦重砲第1旅(十五糎榴弾砲装備)が長沙の湘江対岸にある岳麓山に砲兵陣地を置いた。さらに、長沙には四方から多くの有線通信系統が構成され、通信網が完備していた。
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