マッカーサーとの関係とは? わかりやすく解説

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マッカーサーとの関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:04 UTC 版)

吉田茂」の記事における「マッカーサーとの関係」の解説

吉田マッカーサーは、マッカーサートルーマン大統領によって解任され日本を去るまで親密であった吉田は「戦争負けて外交勝った歴史はある」として、マッカーサーに対しては「よき敗者」としてふるまうことで個人的な信頼関係構築することを努めた。その一方マッカーサーから吉田届いた最初書簡を、冒頭決まり文句「Dear」を「親愛なる」に直訳させ、「親愛なる吉田総理」で始まる文面公表してマッカーサーとの親密ぶりを国民アピールしようとしたが、それを知ったマッカーサー次の書簡から「Dear」削ってしまったという話もある。 吉田ユーモアマッカーサーに対して発揮されている。戦後物資不足の折、葉巻愛好する吉田対しフィリピンタバコ畑を所有していたマッカーサーから葉巻贈りたいと言われたが「私はハバナ産したしなみませんので」と辞退したという。また、吉田マッカーサーに「450トン食糧を緊急輸入しないと国民餓死してしまう」と訴えたが、アメリカからは結局その6分の1以下の70トンしか輸入できなかった。しかしそれでも餓死者は出なかった。マッカーサーが「私は70トンしか出さなかったが、餓死者は出なかったではないか日本の統計はいい加減で困る」と難癖をつけた。それに対して吉田は「当然でしょう。もし日本の統計正確だったむちゃな戦争などいたしません。また統計どおりだったら日本勝ち戦だったはずです」と切り返した。これにはマッカーサー大笑いだったという。 復興成し遂げた日本見てもらいたい考えた吉田は、1964年東京オリンピックマッカーサー招待しようとしたが、マッカーサーは既に老衰動ける状態にはなく、オリンピック半年前に死去した吉田はその国葬参列した。 なお、東方会議リードし治安維持法死刑条項設けたため、公職追放対象なりかけたがマッカーサーへの様々な働きかけ通じて免れたといわれている。

※この「マッカーサーとの関係」の解説は、「吉田茂」の解説の一部です。
「マッカーサーとの関係」を含む「吉田茂」の記事については、「吉田茂」の概要を参照ください。

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