マッカーサーに対する発言に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
「昭和天皇」の記事における「マッカーサーに対する発言に関して」の解説
『マッカーサー回想記』によれば、昭和天皇と初めて面会したとき、マッカーサーは天皇が保身を求めるとの予想をしていたが、昭和天皇は、 「私は国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねる為、あなたをお訪ねした」 と発言したとされる。この会談内容については関係者による直接又は伝聞に齟齬がある(昭和天皇・マッカーサー会見#第1回会見を参照)。昭和天皇自身は1976年(昭和51年)11月6日の取材で、「秘密で話したことだから、私の口からは言えません」とした。翌1977年(昭和52年)8月23日に行われた取材でも、マッカーサーの印象について問われた際「マッカーサー司令官とはっきりこれはどこにもいわないという約束を交わした」「男子の一言のごときことは、守らねばならない」と述べ、口外しなかった。 その後、現代史家・秦郁彦が会見時の天皇発言を伝える連合国軍最高司令官政治顧問ジョージ・アチソンの米国務省宛電文を発見したことから、現在では発言があったとする説が有力である。会見録に天皇発言が記録されていなかったのは、重大性故(天皇自ら戦争責任を負っていることを明言している為、軍事裁判で昭和天皇が被告になった場合に弁護することが出来なくなる)に記録から削除されたことが通訳を務めた松井明の手記で判明し、当時の侍従長・藤田尚徳の著書もこの事実の傍証とされている。[要出典] また当時の宮内省総務課長で随行者の一人であった筧素彦も最初に昭和天皇と対面したときのマッカーサーの傲岸とも思える態度が、会見終了後に丁重なものへと一変していたことに驚いたが、のちに『マッカーサー回想記』などで発言の内容を知り、長年の疑問が氷解したと回想している。
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