マッカーサーの発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)
「極東国際軍事裁判」の記事における「マッカーサーの発言」の解説
東京裁判の事実上の主催者ともいえたダグラス・マッカーサーは、朝鮮戦争勃発直後の1950年10月15日、ウェーキ島でのハリー・S・トルーマン大統領との会談の席で、W・アヴェレル・ハリマン大統領特別顧問の「北朝鮮の戦犯をどうするか」との質問に対し、「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない」「東京裁判とニュルンベルグ裁判には警告的な効果はないだろう」と述べている。 またマッカーサーは、1951年(昭和26年)5月3日に開かれた上院軍事外交合同委員会において、資源の乏しかった日本が「原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって戦争にむかった目的は、主として治安のためだったのです」と証言した。この発言からマッカーサー自身が、大東亜戦争は日本の自存自衛のための戦争であったことを認めたものとする主張がある。 またマッカーサーは同委員会で「我々が過去百年間に太平洋で犯した最大の政治的過誤は、共産主義者達が中国に於いて強大な勢力に成長するのを黙認してしまった」ことにあるとも述べている。小堀桂一郎はこの発言を「東京裁判は誤りだった」という認識の、もう一つ別の表現だったと解釈している。
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