マッカーサーとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 03:42 UTC 版)
「ジーン・マッカーサー」の記事における「マッカーサーとの出会い」の解説
アメリカの「二〇世紀を代表する偉大な英雄」ダグラス・マッカーサーは、その生涯に2度の結婚を経験している。最初の妻であるルイーズ・クロムウェル・ブルックス(英語版)は資産家の娘でワシントンD.C.の社交界の花形としてその名が知られており、1922年の結婚の際には大きな話題となった。しかし、質素剛健が身上で地味な生活を好んでいたマッカーサーは、派手好きのブルックスとは何もかも合わず、最初の結婚生活は7年で破綻した。後年の自伝執筆の際、マッカーサーはブルックスとの結婚生活を「なかったこと」とした。 離婚から6年後、マッカーサーはフィリピン・コモンウェルスのマニュエル・ケソン大統領に軍事顧問として招かれ、フィリピンに赴任する。マッカーサーは赴任の際、のちの大統領ドワイト・D・アイゼンハワー少佐ら幕僚はもちろんのこと、当時83歳だった自身の母メアリーも連れて行った。マッカーサー一行は貨客船「プレジデント・フーバー」 (S.S. President Hoover) でマニラに向かうが、その「プレジデント・フーバー」に、世界一周旅行中のジーンも乗船していた。 きっかけなどの詳細は定かではないが、船内でジーンとメアリーは同じ南部出身者として打ち解けあい、ジーンはメアリーから、旅行が終わればマニラに行くよう勧められた。ジーンは香港在住の友人を訪問してからマニラに向かい、マッカーサーと初めて顔を合わせることとなる。ブルックスと同様に資産持ちであったが、性格や立ち振る舞いがブルックスとは正反対のジーンを、マッカーサーは気に入った。そして、2年後の1937年にニューヨークに一時帰国して結婚式を挙げた。マニラに戻ったあとの1938年2月21日には長男アーサーを産む。
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