マッカーサーとの会見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
詳細は「昭和天皇・マッカーサー会見」を参照 イギリスやアメリカなどの連合国軍による占領下の1945年(昭和20年)9月27日に、天皇は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)総司令官のダグラス・マッカーサーが居住していた駐日アメリカ合衆国大使館を訪問し、初めて会見した。以降、マッカーサー離日前日の1951年(昭和26年)4月15日まで、計11回会見を行った。 第1回会見で天皇が発言したとされる内容(天皇発言、後述)には、マッカーサー自身が記した『マッカーサー回想記』の他、複数の関係者が直接又は伝聞で聞いた内容が発表されているが、齟齬がある状態である(該当項目を参照)。『回想記』には刊行当時から内容の正確性について批判が存在したが、昭和天皇崩御直後の1989年(平成元年)1月に、日本の大手新聞社が『回想記』における天皇発言を事実である前提で報じ、広く知られるようになった。 正装した天皇と、略装のマッカーサーの写真は、国内外に大きな反響を呼んだ。マッカーサーは、日米双方の国民感情に配慮し、勝者であることを誇示しつつも、天皇に対し威圧的になりすぎない、寛いだポーズを取ったとされる。マッカーサーが略装軍服だったのは特に意識して行ったことではなく、普段からマッカーサーは公式な場において正装の軍服を着用することを行わなかったために、ハリー・S・トルーマン大統領をはじめとしたアメリカ政府内でも厳しく批判されていた。しかし、この時は上ボタンを閉め天皇を車まで見送ったという。[要出典]
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