ミンゴ_(潜水艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ミンゴ_(潜水艦)の意味・解説 

ミンゴ (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 06:21 UTC 版)

USS ミンゴ
基本情報
建造所 エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 ガトー級潜水艦
艦歴
起工 1942年3月21日[1]
進水 1942年11月30日[2]
就役 1) 1943年2月12日[2]
2) 1955年5月20日[1]
退役 1) 1947年1月[3]
2) 1955年8月15日[1]
除籍 1971年2月20日[1]
その後 1955年8月15日、海上自衛隊へ貸与[1]
1972年2月、解体
要目
水上排水量 1,525 トン[4]
水中排水量 2,424 トン[4]
全長 311フィート9インチ (95.02 m)[4]
水線長 307フィート (93.6 m)[4]
最大幅 27フィート3インチ (8.31 m)[4]
吃水 17フィート (5.2 m)(最大)[4]
主機 H. O. R.ディーゼルエンジン×4基
ゼネラルモーターズ製278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基[4]
電源 ゼネラル・エレクトリック製発電機×2基[4]
出力 5,400馬力 (4.0 MW)[4]
電力 2,740馬力 (2.0 MW)[4]
推進器 スクリュープロペラ×2軸[4]
最大速力 水上:21ノット
水中:9ノット[5]
航続距離 11,000カイリ/10ノット時[5]
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間[5]
潜航深度 試験時:300フィート (91 m)[6]
乗員 (平時)士官4名、兵員56名[5]
兵装
テンプレートを表示

ミンゴ (USS Mingo, SS-261) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はカリブ海に生息するフエダイ科に属するベニフエダイ英語版の通称ミンゴ・スナッパーに因む。

ベニフエダイ(通称Mingo snapper)

艦歴

「ミンゴ」は1942年3月21日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1942年11月30日にヘンリー・L・ペンス夫人によって進水し、艦長ラルフ・C・リンチJr. 少佐(アナポリス1929年組)の指揮下1943年2月12日に就役する。ロングアイランド沖で整調後、ミンゴは4月1日にロードアイランド州ニューポートへ向けて出航し、水雷ステーションで3週間の作戦活動に入る。5月16日にニューロンドンを出航しパナマ運河地帯を経由して太平洋に向かい、真珠湾でも訓練に従事した。

第1、第2の哨戒 1943年6月 - 1944年2月

6月25日、「ミンゴ」は最初の哨戒でパラオ方面に向かった。7月12日夕刻、北緯01度00分 東経142度59分 / 北緯1.000度 東経142.983度 / 1.000; 142.983の地点で4隻の輸送船からなる輸送船団を発見[10]。2隻の輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射し、6,000トン級輸送船に魚雷が4本命中して撃破したと判断される[11]。パラオ近海に到着後の7月26日には、 北緯03度44分 東経134度27分 / 北緯3.733度 東経134.450度 / 3.733; 134.450の地点で単独航行中のタンカーを発見して魚雷を4本発射するが、これも命中しなかった[12]。8月1日夕刻、ソロール島英語版沖に浮上し、送信塔に対して3インチ砲弾を70発ほどを撃ち込んだ[13]。8月6日午前、 北緯13度50分 東経133度15分 / 北緯13.833度 東経133.250度 / 13.833; 133.250の地点で第31号哨戒艇が護衛するオ003船団を発見し、魚雷を4本発射するも命中せず、第31号哨戒艇の反撃を食って退散した[14][15]。8月21日、41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した[16]

9月29日、「ミンゴ」は2回目の哨戒でマーシャル諸島カロリン諸島およびマリアナ諸島方面に向かった。10月8日にエニウェトク環礁を偵察し、環礁内に在泊艦船がいないことを確認[17]コスラエポンペイ島を偵察の後[17]、10月16日午後には 北緯11度03分 東経151度23分 / 北緯11.050度 東経151.383度 / 11.050; 151.383の地点で空母と4隻の「新型駆逐艦」を発見し、魚雷を6本発射[18]。直後から爆雷攻撃を受け、その数は21発を数えた[19]。目標の空母については、加賀級空母であろうと推定され、2本が命中したものと判断された[18]。実際の相手は空母「冲鷹」であり、特に被害はなかった[20]。10月20日には 北緯07度49分 東経149度11分 / 北緯7.817度 東経149.183度 / 7.817; 149.183プンナップ島近海で10,000トン級タンカーと2,000トン級輸送船あるいはタンカーからなる輸送船団を発見し、追跡を行う[21]。しかし、夜に入ったところで護衛艦に二度発砲され、攻撃できなかった[22]。10月25日から11月6日まではサイパン島およびグアム近海で哨戒を行った[23]。11月20日、53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令により、該当艦である「ミンゴ」も換装することとなってメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装した[24]。換装後、1944年2月3日に真珠湾に戻ってきた。この間、艦長がジョゼフ・J・スタリー少佐(アナポリス1934年組)に代わった。

第3、第4の哨戒 1944年2月 - 7月

2月26日、「ミンゴ」は3回目の哨戒で南シナ海に向かった[24]。3月22日夜、 北緯13度05分 東経114度45分 / 北緯13.083度 東経114.750度 / 13.083; 114.750の地点でレーダーにより5隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる9つの目標を探知し、魚雷を6本発射[25]。やがて6つの爆発音が聞こえ、さらに閃光も見えた[26]。しかし、護衛艦が反転してくる気配があったので、戦果確認は行わなかった[27]。ミンゴは南シナ海での哨戒を終えると、ビスマルク諸島海域を経て、5月4日にニューギニアミルン湾に寄港[28]。5月9日、73日間の行動を終えてブリスベンに帰投した[28]。その後、前進基地のマヌス島に回航され、6月10日に到着後は訓練に従事した[29]

6月19日、「ミンゴ」は4回目の哨戒でセレベス海および南シナ海に向かった[29]。7月7日未明、 北緯14度19分 東経117度57分 / 北緯14.317度 東経117.950度 / 14.317; 117.950ルソン島マニラ湾口西方で、シンガポールからマニラに向かっていた特設運送艦「旭東丸」(飯野海運、10,051トン)と、護衛の軽巡洋艦北上」、駆逐艦玉波」および「藤波」を発見した[30][31]。船団の方でも「ミンゴ」の存在を察知し、「玉波」をその制圧に差し向けた[32]。「ミンゴ」は「玉波」に対して魚雷を4本発射したが命中しなかったためさらに4本発射し、今度は3本が命中して轟沈させた[33]。この哨戒は敵艦船との遭遇が旭東丸船団を含めて三度しかなかった[34]。7月30日、ミンゴは46日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がジョン・R・マディソン少佐(アナポリス1937年組)に代わった。

第5、第6の哨戒 1944年8月 - 12月

8月27日、「ミンゴ」は5回目の哨戒でセレベス海に向かった。この哨戒では、フィリピンボルネオ島を爆撃する第13空軍B-24に対する援護を主な任務としていた。9月13日未明、 北緯05度36分 東経123度51分 / 北緯5.600度 東経123.850度 / 5.600; 123.850の地点で2隻の掃海艇を発見し、掃海艇も「ミンゴ」を発見して向かってくる[35]。「ミンゴ」は掃海艇をひきつけて魚雷を3本発射したが、脅かしただけに終わった[36]。9月30日には 南緯01度20分 東経117度33分 / 南緯1.333度 東経117.550度 / -1.333; 117.550の地点で病院船氷川丸」(日本郵船、11,622トン)を目撃[37]。10月2日午後、「ミンゴ」は 南緯00度59分 東経117度22分 / 南緯0.983度 東経117.367度 / -0.983; 117.367の地点で350トン級と250トン級のトロール船各1隻、2隻の150トン級トロール船を発見し、砲撃により全て撃沈した[38]。また、「ミンゴ」はこの哨戒を通じて16名のB-24の搭乗員を救助したが、うち10名はバリクパパン沖のマカッサル海峡で、残る6名はセレベス島の海岸部で、いずれもゴムボートを使って救助した。10月13日、46日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

11月6日、「ミンゴ」は6回目の哨戒で南シナ海に向かった[39]。11月19日、 北緯03度13分 東経108度14分 / 北緯3.217度 東経108.233度 / 3.217; 108.233の地点で1隻の大型タンカーと2隻の護衛艦を発見[40]。追跡を行い、夜に入って船団に接近すると、タンカーと護衛艦も備砲と機銃で撃ち返してきた[41]。「ミンゴ」は20ミリ機銃に乗組員を配して護衛艦に備えさせ、護衛艦の追撃を振り切ることに成功した[42]。11月25日未明、「ミンゴ」はシマ05船団を発見して追跡の上、 北緯05度42分 東経113度15分 / 北緯5.700度 東経113.250度 / 5.700; 113.250のボルネオ島ミリ沖にいたったところで魚雷を発射し、陸軍輸送船「まにら丸」(大阪商船、9,486トン)の右舷に3本が命中し、「まにら丸」は搭載していた可燃物が炎上して沈没していった[43][44]海防艦倉橋」が爆雷攻撃を実施したが、結局「ミンゴ」を取り逃がした[44]。「ミンゴ」も反撃で魚雷を4本発射したが、命中しなかった[45]。12月17日には 北緯11度40分 東経109度20分 / 北緯11.667度 東経109.333度 / 11.667; 109.333の地点で、カムラン湾からサンジャックに移動しつつあった第五艦隊志摩清英中将)を発見し、艦隊をやり過ごしてから浮上して艦隊発見を通報した[46]。通報後、B-25 5機がカムラン湾を爆撃したが、第五艦隊は攻撃を受けなかった[47]。12月29日、52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第7の哨戒 1945年2月 - 4月

1945年2月6日、「ミンゴ」は7回目の哨戒で南シナ海に向かった。しかし、2月10日に猛烈な台風に翻弄され、艦体にダメージを負った上、乗組員2名が波にさらわれ、捜索の甲斐なく行方不明となってしまった[48]。修理のため一度フリーマントルに引き返し、修理と乗組員の補充を行い、2月19日に再度出撃した[49]。南シナ海とタイランド湾を哨戒した後、4月10日にサイパン島タナパグ港に寄港[50]。燃料補給の後4月11日に出港して真珠湾に針路を向けたが、4月14日から南鳥島方面に向かった[51]。4月14日の午後にはフランクリン・ルーズベルト大統領の訃報に接し、5分間祈りを捧げた[52]。4月17日まで南鳥島沖で哨戒と偵察の後、再び真珠湾に向かった[53]。4月25日、76日間の行動を終えて真珠湾に帰投[54]。メア・アイランド海軍造船所に向かい、オーバーホールに入った。その後、8月9日にオーバーホールが終わって、真珠湾に向かっている途中に終戦を迎えた[3]

戦後・「くろしお」として

「ミンゴ」は真珠湾で短期間滞在した後、西海岸に戻っていった。その後、1947年1月1日にメア・アイランド海軍造船所で退役し、太平洋予備役艦隊入りする。1955年5月20日に再就役し、「ミンゴ」は相互防衛援助プログラムに基づき海上自衛隊に貸与され、「くろしお」 (SS-501) と改名された。「くろしお」は1966年3月31日まで現役として活動し、1970年8月15日に除籍されアメリカに返還された。アメリカに返還後もしばらく呉に係留されたままであったが、佐世保市のスクラップ業者に売却され1972年2月、佐世保市白岳町に運ばれ同地で解体された[55]

「ミンゴ」は第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章を受章した。7度の哨戒のうちの5回が成功として記録された。

脚注

出典

  1. ^ a b c d e #Friedman pp.285-304
  2. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.3
  3. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.5
  4. ^ a b c d e f g h i j k #Bauer
  5. ^ a b c d e #Friedman pp.305-311
  6. ^ Friedman 1995, pp. 305–311.
  7. ^ #SS-261, USS MINGOp.17
  8. ^ SS-260, USS LAPON, p. 290.
  9. ^ #Stern p.16
  10. ^ #SS-261, USS MINGOpp.9-10
  11. ^ #SS-261, USS MINGOp.10, pp.24-25
  12. ^ #SS-261, USS MINGOpp.14-15, pp.26-27
  13. ^ #SS-261, USS MINGOp.17,30
  14. ^ #SS-261, USS MINGOpp.18-19, pp.28-29
  15. ^ #呉防戦1808p.3, pp.49-50
  16. ^ #SS-261, USS MINGOp.21
  17. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.44
  18. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.46, pp.61-62
  19. ^ #SS-261, USS MINGOp.46
  20. ^ Chapter V: 1943” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年6月14日閲覧。
  21. ^ #SS-261, USS MINGOpp.47-48, p.58
  22. ^ #SS-261, USS MINGOp.48
  23. ^ #SS-261, USS MINGOpp.49-55
  24. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.74
  25. ^ #SS-261, USS MINGOpp.76-77
  26. ^ #SS-261, USS MINGOp.77
  27. ^ #SS-261, USS MINGOpp.77-78
  28. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.83
  29. ^ a b #SS-261, USS MINGOp.105
  30. ^ #SS-261, USS MINGOp.107
  31. ^ #旭東丸1907p.27
  32. ^ #旭東丸1907p.10
  33. ^ #SS-261, USS MINGOpp.107-108, pp.119-120, pp.122-123
  34. ^ #SS-261, USS MINGOp.112
  35. ^ #SS-261, USS MINGOp.139
  36. ^ #SS-261, USS MINGOpp.139-140, pp.169-170
  37. ^ #SS-261, USS MINGOp.145,154
  38. ^ #SS-261, USS MINGOpp.146-147, pp.171-172, p.178
  39. ^ #SS-261, USS MINGOp.184
  40. ^ #SS-261, USS MINGOp.186,205
  41. ^ #SS-261, USS MINGOpp.186-187
  42. ^ #SS-261, USS MINGOpp.187-188
  43. ^ #SS-261, USS MINGOpp.189-190, pp.207-208
  44. ^ a b #野間pp.448
  45. ^ #SS-261, USS MINGOpp.189-190, pp.208-209
  46. ^ #SS-261, USS MINGOp.199,205
  47. ^ #五艦1912p.10
  48. ^ #SS-261, USS MINGOp.226
  49. ^ #SS-261, USS MINGOpp.226-227
  50. ^ #SS-261, USS MINGOp.242
  51. ^ #SS-261, USS MINGOpp.243-244
  52. ^ #SS-261, USS MINGOp.243
  53. ^ #SS-261, USS MINGOp.245
  54. ^ #SS-261, USS MINGOp.246
  55. ^ 「海上自衛隊ニュース」『世界の艦船』1972年5月号第177号、海人社、1972年5月、96頁。 

参考文献

  • (issuu) SS-261, USS MINGO. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-261_mingo 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030368400『自昭和十八年八月一日至昭和十八年八月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。 
    • Ref.C08030019900『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第二遊撃部隊)戦時日誌』。 
    • Ref.C08030644600『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 (旭東丸)戦時日誌』。 
    • Ref.C08030644700『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 (旭東丸)戦時日誌』。 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。 ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七年六月以降朝雲新聞社、1973年。 
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年。 
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年。 
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年。 
  • Stern, Robert C. (2006). Gato-Class Submarines in action(Warships Number 28). Carrollton, Texas: Squadron/Signal Publications. ISBN 0-89747-509-7 

外部リンク


「ミンゴ (潜水艦)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミンゴ_(潜水艦)」の関連用語

ミンゴ_(潜水艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミンゴ_(潜水艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミンゴ (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS