史実のローラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 08:37 UTC 版)
「ローラン (シャルルマーニュ伝説)」の記事における「史実のローラン」の解説
フランスに実在したローランについては、シャルルマーニュの廷臣にして歴史家のアインハルトが記した『Vita Karoli Magni(カール大帝伝) 』の記述のみが存在する。これによると、シャルルマーニュが778年にスペインに遠征した際の帰り道、ピレネーでバスク人の奇襲を受け、最後尾にいた後衛隊が全員戦死したが、その中にブルターニュ辺境伯(Brittannici limitis praefectus)のフルオドランドゥス/フルオドランド(Hruodland(us))がいたと記述されている。このように、資料においてはローランの名前と肩書きのみが記載され、詳しいことは判らない。 なお、ブルターニュは、その名が示す通り、ケルト系のブルトン人が住んでいるところであり、現在でもその要素が濃い。またローランのデュランダルは「聖剣伝説」という点で、同じくケルト系に由来するアーサー王のエクスカリバーと酷似している。
※この「史実のローラン」の解説は、「ローラン (シャルルマーニュ伝説)」の解説の一部です。
「史実のローラン」を含む「ローラン (シャルルマーニュ伝説)」の記事については、「ローラン (シャルルマーニュ伝説)」の概要を参照ください。
- 史実のローランのページへのリンク