史実に基づく沿革とは? わかりやすく解説

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史実に基づく沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:43 UTC 版)

中村城 (下野国)」の記事における「史実に基づく沿革」の解説

長沼文書」の建武2年1335年4月10日付け後醍醐天皇綸旨中に中村地頭小栗掃部助重貞」とある。元弘3年1333年5月9日六波羅探題北条仲時自害したとき、伊佐治部丞等も自害している(『太平記』)ので、このときと考えられる応安元年1368年)には宇都宮氏綱鎌倉反対して敗れ本領3分の1になった(『鎌倉大日記』)とあり、このとき中村庄は結城になった。そして、永享12年1440年)の結城合戦結果、再び宇都宮になった思われる天文13年1544年10月7日水谷蟠龍斎正村によって中村日向入道玄角攻落された(『中村沿革誌』)とする説がある。しかし、「水谷蟠龍記」には父の治持が玄角を討取ったとあり、「寛政重修諸家譜」の治持の譜文に、猿山合戦後中村十二郷が結城水谷になったとある。猿山合戦大永6年1526年)であるので、この年廃城考えられる同年宇都宮尚綱武田治大輔信隆に中村城奪回のために水谷正村本拠久下田城攻めさせたが、城を奪い返すことはかなわず中村領は水谷氏領地となった中村城その後廃城になった天正14年1586年)に、水谷正村宇都宮国綱家臣今泉泰光の上三川城へ攻め込み敗退し結城晴朝が、中村領の寺内若旅加倉粕田寺分下大沼上大沼柳林勝瓜長田伊勢崎小橋大和田上下西金井高間木、亀山宇都宮領とする条件和睦申し出旧領復帰果たしている。

※この「史実に基づく沿革」の解説は、「中村城 (下野国)」の解説の一部です。
「史実に基づく沿革」を含む「中村城 (下野国)」の記事については、「中村城 (下野国)」の概要を参照ください。

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