史実の松浦氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 17:08 UTC 版)
松浦重信は赤穂事件との関りは特にない。隠居して鎮信と改めた後に著した『武功雑記』にも一切、事件の記載はない。のちに素行の一族である山鹿平馬が平戸藩の家老に、山鹿藤助が藩の兵法師範に採用されたという。 ただ、素行を通じて吉良義央とも交流があったとされ、吉良氏秘伝の『吉良懐中抄』が松浦家に伝わり、今も写しが平戸市に現存する。 松浦清は、赤穂事件を「心得ぬ事なり」、大石良雄を「人を出して即往きたるに、果たして大石の輩」とし、山鹿素行の嫡流(山鹿政実)に師事し吉良義央の救助に向かった津軽氏を「弘前候ばかり之を知れり」と敬称で呼んでいる。
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