カイホスロー2世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カイホスロー2世の意味・解説 

カイホスロー2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/18 05:01 UTC 版)

カイホスロー2世

カイホスロー2世(? - 1246年)は、アナトリアを支配したルーム・セルジューク朝の第12代スルタン(在位:1237年 - 1246年)。

父は第11代スルターンのカイクバード1世。1237年に父が死去したため、即位した。ただしこれには父と不仲だったカイホスロー2世自らによる毒殺説もある。ルーム・セルジューク朝は英傑と称された父の時代に全盛期を迎えていたが、その急死によって大きく動揺し、カイホスロー2世の治世初期には各地で配下諸侯の離反と反乱が相次いだ。一時は都を追われたが、これらはかろうじて鎮圧している。

ところが今度はモンゴル帝国の侵攻を受け、1243年キョセ・ダーの戦いで大敗してモンゴルに臣従した。これにより属国のアルメニア王国などが離反してルーム・セルジューク朝はさらに衰退。カイホスロー2世は頽勢を挽回するために親征するが、戦果を挙げられずして1246年に陣没した。

関連文献

先代:
カイクバード1世
ルーム・セルジューク朝
1237年 - 1246年
次代:
カイカーウス2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カイホスロー2世」の関連用語

カイホスロー2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カイホスロー2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカイホスロー2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS