イラン鎮戍軍の指揮官バイジュとは? わかりやすく解説

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イラン鎮戍軍の指揮官バイジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 13:41 UTC 版)

バイジュ (モンゴル部)」の記事における「イラン鎮戍軍の指揮官バイジュ」の解説

1228年トルイ監国時代皇子オゴデイとの協議によって、イラン方面チョルマグン司令とする鎮戍軍(タマ軍 lashkar-i Tamā)の派遣決定された。これはホラズム・シャー朝ジャラールッディーンインドからイラン高原帰還したとの情報受けたもので、1229年第2代モンゴル皇帝となったオゴデイチョルマグン4つ万戸隊を授けチョルマグン率いタマ軍はこの年アムダリヤ川渡ってイラン入りした。バイジュ当初チョルマグン直下千戸であったが、後に4つあった万戸隊のうち第1万戸隊の万戸になった1243年オゴデイ崩御モンゴル帝国中央動揺していた時期に、チョルマグン麾下イラン鎮戍軍はイラン北西部アーザルバーイジャーン地方からさらに西に進みカイホスロー2世率いルーム・セルジューク朝軍と交戦してこれを敗北させた。このキョセ・ダグの戦いによってルーム・セルジューク朝モンゴル軍降服し、同王朝以降モンゴル帝国臣従することになった。この時、キョセ・ダグの戦いでの戦闘イラン鎮戍軍全体直接指揮していたのが、バイジュであったチョルマグンからバイジュイラン鎮戍軍の指揮権移行したのはいつごろだったかについては『世界征服者史』『集史』には明確な年次記されていないが、ガンジャケツィのキラコス(en)による『アルメニア史』によると、キョセ・ダグの戦いより2年ほど前、アルメニア暦691年1241年初めにイラン方面にいたモンゴル軍諸将に対して発したカアン勅書によって、唖者となったチョルマグン代わりバイジュ・ノヤンその後となったという。ルーム・セルジューク朝敗北によって、周辺グルジア王国キリキア・アルメニア王国臣従し、その対処イラン鎮戍軍とイラン総督府に任されていたようである。 1247年初夏バイジュが大アルメニアのスィスィアンに駐営中に、ローマ教皇インノケンティウス4世書簡携えて来たドミニコ会修道士アンセルムス(またはアスケリヌス)ら教皇使節到着した。しかし、教皇使節たちの尊大な態度立腹したバイジュ使節との面会拒絶し後述のように書簡返書のみを渡して追い返している。 1246年ドレゲネ監国経てオゴデイ継いでその長男グユク第3モンゴル皇帝即位したが、イラン鎮戍軍の指揮権1247年モンゴル高原から派遣されて来たグユク近臣イルチギタイに任された。このためバイジュ指揮権一時失っていたようである。グユク没後オグルガイミシュ監国時代も、引き続きイラン方面支配はイルチギタイが掌握していた。 1251年トルイ家モンケが第4代モンゴル皇帝即位すると、イルチギタイはモンケ暗殺計画与したとして処刑されバイジュは再びイラン鎮戍軍の指揮権取り戻したその後クリルタイ決定によってモンケ皇弟フレグの西征軍が派遣されバイジュ麾下イラン鎮戍軍は、イラン総督アルグン・アカイラン周辺モンゴル帰順した諸政北インドカシミール鎮戍軍などの諸軍とともにフレグ指揮下に置かれた。クリルタイ決定では、チョルマグン以来イラン鎮戍軍とそれを率いバイジュにはルームアナトリア地方へのさらなる派遣決められていたようである。

※この「イラン鎮戍軍の指揮官バイジュ」の解説は、「バイジュ (モンゴル部)」の解説の一部です。
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