イラン革命とアメリカ大使館への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 02:20 UTC 版)
「イスラーム・ダアワ党」の記事における「イラン革命とアメリカ大使館への攻撃」の解説
ダアワ党はイラン革命を支持し、イラン政府から支援を受けていた。イラン・イラク戦争中、イラン政府はダアワ党によるバアス党・サッダーム・フセイン政権への武装蜂起を支援した。1979年にダアワ党は本部をイランの首都・テヘランに移転していた。1981年12月、ダアワ党は国際社会での最初の攻撃となる、レバノン・ベイルートのイラク大使館への自爆テロ攻撃を実行し、多数の犠牲者を出した。1983年にはクウェートのアメリカ大使館、フランス大使館、クウェート国際空港への自爆テロ攻撃があったが、イラン・イラク戦争においてイラクを軍事的・財政的に支援していた国々への懲罰行為として攻撃を支援したと考えられている。ホメイニーとダアワ党は協力関係にはあったものの、考え方の一部に相違があった。ホメイニーは国家の権力はウラマー〈イスラーム法学者〉に基づくべきであると考えていたのに対し、ダアワ党はウンマ〈イスラム共同体〉、つまり人々に基づくべきであると考えていた。この意見の不一致がダアワ党の分派として、イラク・イスラム革命最高評議会〈SCIRI〉が結成されるきっかけとなった。イラン・イラク戦争中は西側諸国西欧諸国において、ダアワ党はテロ組織であるとみなされていた。西欧諸国やスンニ派を攻撃し、副首相ターリク・ミハイル・アズィーズの暗殺未遂事件を起こす等していたことが原因であった。
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